演奏会感想の部屋

 



 第3、4ステージ感想の前に、
演奏終了後、この日の打ち上げへ参加させて頂いた時のこと。
 プーランクを指揮された岩本先生に尋ねてみた。

 『練習での決め事を本番で守る』…という印象の他合唱団と比べて
 MIWOはそんな感じがしませんね。なぜでしょう?

 「…そうですね。やはり団員の『自発性』、
  そして “ いまのステージでの音楽 ” を『聴いている』、ということでしょうか。
  私もMIWOを振っていると、時間を凄く長く感じるんですよ。
  それだけ音楽に集中し、『聴いている』ことを感じて長く感じるのでしょうね。
  聴いている文吾さんもそうじゃないですか?」

 ええ、もちろん! …そう、強く頷いた。





 第3ステージは
 スタンフォード:3つのモテット Op.38
 指揮は大谷先生。

 スタンフォードらしい、優しい、人間味あふれる繊細で豊かな世界。

 1曲目「Justorum animae」
中ほど(第2部)には激しい曲想もあったが
やがて落ち着き、静かになり、
このホールの特性も影響しているのか、
直接的に音楽が伝わるのではなく、
自分の出す表現を自分自身に問いかけ、そして放出するような
内省的で静かな音楽。

 2曲目「Coelos ascendit hodie」では
2重合唱の明るい呼び交わしが音楽を高めて行き、
旋律の終わりに鳴り響くトランペットのような「Alleluja!」が何度も飾る。

 3曲目「Beati quorum via」
 静かに盛り上がり、心の内圧を高めていく。
 後半、休符を含むつぶやきのような旋律が
やはり静かで美しい世界をステージ上に出現させていた。





 最終ステージの前に大谷先生と
作曲家:鈴木輝昭先生によるトークショー。
 題して「鈴木輝昭氏:作曲の秘密に迫る?!」

 鈴木輝昭先生は語彙も豊富で知識も深く
 「アッタマの良い、“真の芸術家”!」って感じだなあ〜とつくづく思う。
 私の恥ずかしい理解力と拙いメモでは
その多岐に渡る内容の、ほんの断片しか記せませんが、どうかご了承下さい。
 (また、私の誤解による間違い等もあるかもしれません…)


 大谷先生:鈴木先生の作品には簡単に分けると
        「易しい作品」と「難しい作品」のふたつに分けられますが
        その「難しい作品」では日本人の作品でないような
        「国籍不明」の音が聞こえてきます。
        「宇宙」「太古の昔」…を連想させるような。

 鈴木先生:私は「国籍不明」ではいけない、と思っています。
        ただ日本の素材を使って母国語を使って、
        それが本当に「日本人の音」になるか、という疑問があります。
        私も、東洋と西洋が混沌とした
        現在の音楽を聞いて育ったのですから。
        しかし、私の音楽が、バッハなどの古典から始まる流れから
        断絶したものになってはいけないと思っています。


 大谷先生:演奏する側としては
        「鈴木先生、次はどんな音を書いてくださるんだろう?」
        …と期待してしまうんですが。
        そういう「新しい音」って・・・どうやって創るの?(笑)

 鈴木先生:(重々しく)…内部に、深く、降りていくのです。(場内笑い)
        現在、同時代の音楽からは取り入れず、
        バッハなどの古典から学び、刺激を受け、
        それを反映させるようにしていますね。


 大谷先生と鈴木先生は同世代、ということでお互いを褒め称え
 「じゃあ、これからも・・・がんばって!」と大谷先生。
 両先生で握手をして終わり(笑)。
 軽妙な、どこか人を食った大谷先生のトークも印象に残るものでした。


 第4ステージはその鈴木輝昭先生へのMIWO委嘱作品。
 「無伴奏混声合唱のための リリケ アモローゼ」
 (LIRICHE AMOROSE  古代エジプト恋愛叙情詩より)

 1. Mio dio, mio amato
 (わが愛しの君よ)
 2.Quando l'abbraccio ed ella a me
 (われ 彼女を抱き)
 3.Ah! Foss'io la sua schiava negra
 (嗚呼! 余 彼女の黒人待婢となりて)
 4.Te ne vuoi andare perche vuoi mangiare?
 (貴方が立ち去りたいのは 食べたいからなの?)
 5....un bocciolo di loto e la mia bella
 (わが美女は 蓮の蕾)
 6.Mi corichero a casa malato
 (彼女め 非道い目に遭わせやがる)


 指揮は大谷研二先生。
 イタリア語による、現代的なマドリガル。


 ・・・私は、MIWOでこの曲の演奏を既に3回聴いている。

 1回目は、全6曲の予定だったのに3曲しかできておらず
その3曲も直前に出来たようで、演奏はボロボロ。

 およそ半年後の演奏会、全曲完成!…と思ったのだが
1曲追加されて4曲だけの演奏。(さすがに演奏は素晴らしかったが)

 そして3度目の正直、で次の演奏会にてようやく全6曲を演奏できたのである。

 風のウワサでは今回の再演に当たって鈴木先生から
 『テンポを(楽譜の)指示通りにしてね』…と注文があったらしいが。

 委嘱が遅れに遅れてようやっとの完成をみたこの作品に対し、
私も鈴木先生へぜひ述べさせていただきたい。


 「『作曲のテンポも(委嘱の)指示通りにしてね』…と!」

 (…ウソです。いやー創作って大変な行為ですねー) 


 副題、各曲の題から分かるように
恋愛を題材にした大谷先生仰るところの「官能的」な曲集。
 大谷先生の音楽の変化か、MIWOの表現の変化か、
それともこのホールの性質からか、
全曲をサラマンカホールで聴いた時よりは
その「生」の表出である官能性のようなものは
私には残念ながらあまり伝わらなかった。

 ただ、やはり鈴木作品の音響世界をここまで表出させてしまう技術。
 (鈴木作品の、どこか金属的な冷たい美しさを出せる合唱団って
  なかなかありませんよねえ)
 2曲目の妖しい雰囲気、3曲目のためいきの繰り返しなど、
特殊な表現でもヘンに浮かない表現力。
 そして絶妙のアンサンブル。(音楽に対する反射神経の鋭さ!)
 ・・・は充分に証明されたと思う。
 実に完成度の高い、このままCDにしても全く遜色ない演奏。


 アンコール1曲目は岩本先生指揮で
 プーランク「Salve Regina」

 最初の、よくミックスされた混声のあたたかでやわらかな響きにもう…。
 透明さとともに、切ないほどの抒情があり、胸に迫る。
 本当に今回のMIWOとプーランクは「ハマって」いる!!


 アンコール2曲目は大谷先生指揮で
 「OVER THE RAINBOW」
 (東京混声もよく演奏する、Oxford出版社から出てる楽譜ということ。
  曲集名は「IN THE MOOD」。編曲者はGuy Turner氏)

 この名曲をそのまま演奏する、というのではなく
大谷先生らしい、そしてMIWOらしい、
リズムの力感などに洒脱な表現が光り、
最後は感動的な盛り上がりを。





 全体的な印象としては、この感想で何回も書いているが、ホールの違いからか、
いままで聴いてきたMIWOよりは内省的で、繊細さが際立った印象。
 やや「おすまし」ヴァージョンだったかなあ、という気もする。
 選曲も、プログラム中の岩本先生の文章
 「MIWOは器用か不器用か?」で記されている中学校公演のように

 (女声が「さくら」を各自バラバラに歌いながら入場
  → 男声は「南部牛追歌」を歌いながら入場
  → 2重合唱でラッススの「やまびこ」
  → バッハのコラール
  → そのコラールをトーンクラスターに変化させる
     ニーステットの現代曲
  → Rabe作曲「Rondes」(図形楽譜も取り入れた現代曲)
  → ヘンデルのハレルヤ
  → それのソウルフル・ヴァージョンでゴスペル風に・・・)

 そのようなMIWOの「器用さ」が出た、ハジけた曲があっても良かった。
 あ、日本語の曲があっても良かった。
 少人数のアンサンブル、男声、女声合唱があっても良かった。
 えーととにかく、あと追加で3ステージぐらいあっても良かった。(殺す気か!)


 しかし、入場の拍手から、団員最後のひとりが見えなくなるまで、
4ステージ、すべてにおいて客席からあたたかな拍手が注がれていた。
 そのことが表すように、今回の公演、本当に良い演奏会だったと思う。


 感想を掲示板に掲載した際、
MIWO団員むねさんから、
丁寧なお礼とこの公演を体験した際の感想を記した書き込みがあった。
 (2004年8月16日)
 大変興味深い内容なので、こちらへ掲載させて頂く。


 打ち上げでは大谷研二先生が
「私の音楽も時とともに変わっていく…」と語られていた。
 ホールの変化だけではなく、同じ曲を再演しても違うように聞こえてしまうのは
大谷先生、岩本先生、そしてMIWO、さらに聴く私自身も変わっていくためであろう。

 生きている限り、人は変化していく。
 だからこそ、面白い。

 そしてその変化を感じながらも、以前聴いたMIWOを思い出すのは
やはりその底にどこか変わらないものがあるからだ。
 変わらないもの。たとえばそれは
岩本先生が語ってくださったようにMIWOが
 「いまのステージでの音楽を聴いている」ということ。

 それはすなわち 「いま、その瞬間を生きる姿勢」
 …というものなのかもしれない。


 変わらない部分、そして少し変わった部分、
それらの全てを期待して、私はまたMIWO演奏会へ行く。

 時の流れを肯定できる機会はなかなか訪れないものだが、
MIWOを聴いていると、いま生きていること、
時が時として過ぎていくことを素直に肯定したくなる。


 本当に良い合唱団を知ったものだ。
 MIWOを知ってから約5年、つくづく思う。

 そして同時に、あのホールにいたみなさんに問う。
 MIWOを以前から知っていた、久しぶりに聴いた、
そして今回初めて聴いた、あのホールにいたみなさんに問う。

 
 「合唱団MIWO」、私は思う。本当に良い合唱団を知ったと。



 みなさんも、そう思うだろうか?






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