演奏会感想の部屋

 

 
  <2006年 一般Aの部感想>
 


 今年の全国大会、熊本県立劇場コンサートホールは
響きがとても良いホールで少人数にふさわしく
一般Aの演奏団体にも、
聴く側にも良かったのではないでしょうか。

 淀川混声合唱団の感想のときも書いたように、
最近大人数の合唱演奏に
 「贅沢な音、というよりは“贅肉な音”」を
感じてしまうことが多い私にとっては、
一般Aという部門は
その主張、存在がまっすぐ自分の胸に響き
全ての部門を聴いている訳では無いのですが
自分にとって
 「大会の“華”だなあ〜!」と嬉しく思うわけです。

 私の好みの演奏は前述のように、
 「火サスと宮部みゆきの違い」ですね。

 あと4年ほど歌っていなく、
さらに家では合唱をほとんど聴かない人間としては
 「合唱の良さ」ってなんだろうなあ、と改めて思うようになって。

 正しい音を出す、というのは機械の方がよっぽど上手く出来る。
 もちろん正しいリズム、正しい和音などがあってこその音楽だけど
それらを越えて「合唱の特徴、魅力」を考えている合唱団って
どれだけあるんだろう・・・と。

 語感の違い、細やかなテンション、声を合わせること、
人の声の響き、というもの・・・。
 機械、もしくは器楽では出せない合唱の魅力、というものを
もっと感じたいし、
それを感じさせてくれる演奏が私はやっぱり好きです。
 それには「声そのもの」を知らなければいけないし、
そしてもちろん、
声以外の音楽を知らなければいけないのでは、と思います。


 個人的にメールするのは問題無いと思いますが
どちらかというと否定的に捉えられる感想の団体は
この不特定多数の人が見るHPに載せるのは止めております。


 
 2006年11月25日(土) 15:35から。
 熊本県立劇場コンサートホールにて。


 <銅賞受賞団体>


 合唱団KMC

 (山梨県・関東支部代表・混声27名)

 ああっ、私、この団体好きでした。
 銅賞の結果に「あれ〜?」と思ってしまった団体。

 課題曲G1:Sancta Mariaはテノールをはじめ
各パートが良く整備されていて好印象。
 音楽自体は強烈な主張!…ではなく、
ひそやかな表現、と言うようなものなんだけど、
それが、「抑えられた」、とか「伝えたいことが無い」、と言う訳ではなく、
この団体の表現として、自然な形なんですね。

 音楽の推進もあって、さらに要所要所、
表現の変わり目も大切に表現している。

 自由曲:Holmboe「Laudate Dominum」は課題曲とは違って、
最初の強い声で雰囲気を変え!
 言葉のイメージ、AllelujaやLaudate等。
 その言葉の意味が輝かしく声に乗っている。

 さらに本来の持ち味である
上品で雰囲気が香り高い世界を創り出し、
ここぞ、というところでの的確なハーモニーが
説得力を生んでいました。
 「この曲って単純な曲なのに・・・“聴かせる”な〜!」
 …と思わず唸った次第。

 もちろん整備されているとは言えど
上位団体と比較すれば声の魅力が足らないし、
上品さゆえに伝わらない音楽のスケール感、などは
あったかもしれませんが・・・うーん、銅賞・・・。

 (※後に出演者ではない、敬愛する、あるお方に
  この団体の銅賞受賞について伺ったところ
  「自由曲に関して、指揮者の感性が
   ある狭いところへ偏らせている印象があった」
  ・・・とのことでした。
  曲本来が持つ魅力というものと
  合唱団KMCの演奏のアプローチに対して
  その方はいろいろ思うところがあったようです)

 それでも以前関東大会で聴いた時よりも
 「指揮者の範疇」から超える団員の表現、のようなものが
感じられたのが嬉しかったです。
 また次に聴く機会を楽しみにしています!



 浜松ラヴィアンクール
 (静岡県・関東支部代表・女声10名)

 まず ↑ の記述に注目!
 「女声10名」! ですよ “10名”!!
 凄いなあ〜。10名で全国大会って・・・。

 さてその演奏は、見た目通り、
 「大人の女性」という雰囲気でF2のメンデルスゾーンを。
 やはり人数の少なさから、下2声は音楽を持続できない印象もあり。
 しかし上品かつ爽やかな印象。

 自由曲はZiegler作曲「Missa Pro Juventute」から
「Kyrie」「Gloria」。
 少人数ということからダイナミクスの幅を表現できない分、
フレーズや細かなところに、もっと個々人の“歌”が欲しいな…。
 女声合唱は男声と違って“溶け合わない”のが
特徴であり美点でもあるんだから
ユニゾンの統一、響き、ハーモニーの重ね方をもっと・・・。
 さらに3曲目Schafer「Gamelan」は
岸先生の音楽の持ち味である
「ケレン味の無さ」
「ハッタリって何?」
…というマジメな演奏のため、雰囲気を変えるに至らず。
 もっと色々“遊んで”欲しい!!

 しかし、音楽の要所はしっかりしてましたし、
アルトの旋律に上2声が乗る箇所などは軽やかに、
少人数ならではの良さを表していたように思います。

 演奏の感想となるとこういう具合に厳しくなってしまいますが。
 でも! 「10人で全国大会!!」…ですよ。
 それを成し遂げた、ということだけでも私は認めたいのです。



 <銀賞受賞団体>


 会津混声合唱団

 (福島県・東北支部代表・混声32名)

 課題曲G3「とむらいのあとは」は
最初のアタックから、
すぐしなやかに流れるヴォカリーズに「巧いな〜」。
 さらに、さりげなく、味のある歌々に「…ホント巧いな〜!」

 ただ今回はソプラノが不調に聴こえてしまって。
 去年と比べると表現するなら「15歳ほど加齢したような…」声、で。
 終盤も音程他が崩れてしまった。残念!

 しかし、流れと両立させるのが難しい要所のハーモニー、
クレッシェンドでも荒くならず、澄んだ和音はさすがに会津混声。
 技術の高さを聴かせてくれました。

 自由曲はWhitacre「Leonard Dreams of His Flying Machine」。
 まず出だしの音響、そのバランスに耳が引き付けられ。
 そしてリズム感、統一された各パート、
特に男声の充実した響きが見事に音楽を支えていく。
 
 細やかな和音もしっかりと表現し。
 そのため音楽の移り変わりは、サッと色を変えるよう。
 歌の端々に“都会的な”とでも言いたいセンスがあるのも、さすが。
 Bassのソロも歌として巧いのはもちろんのこと
さりげなく合唱とのサウンドのバランスを保っているのに感心。


 この曲、終わり間近に「鳴り物」があるため、
ヘタな演奏だと「息はまだか〜太鼓はまだかぁ〜?」と
途中から集中力が続かなくなってしまうんだけど,
会津混声の場合、
前述のようにしっかりした技術と確固とした表現で飽きさせず、
さらにクライマックスにかかると。

 タンギング、男声の表す風の息が
「飛ぶのか?」と期待させ、さらに鳴り物が一斉に加わり
「飛ぶ?…飛ぶぞッ!!」と、ドキドキさせる演奏でした。
 聴いてて気持ち良かったなあ〜。



 ゾリステン・アンサンブル
 (島根県・中国支部代表・混声29名)

 う〜ん、今回「…ちょっと失敗したかな」と思ったのは
中国支部大会が岡山だったため聴きに行ったこと。
 もちろん全国に進めなかった団体の
良い演奏を聴けたのは収穫だったけど、
全国に進めた団体は、結果としてこの全国大会で
2回聴くことになってしまい、
その演奏の新鮮さ、感動、
みたいなものが私から失われてしまったのです。

 …そういうわけで、この「ゾリステン」も
あまり好意的な感想では無いかもしれません。

 課題曲G1:Sancta Mariaは
テンポの速さとテンションの高さが熱い印象!
 2年前の全国大会出場時より、
発声が“鳴る”ようになり、楽器が磨かれたような。
 しかしアルトが一本調子だったり、
押し切るだけ、という様子。

 ただ、音楽をガラリ、と変えたりテンポの速さも個性的で
「自分たちの新しい音楽」を創ろう、としているような
力と勢いのようなものは感じました。
 あ、後はテノールにも好感。

 自由曲:Bergh「And death shall have no dominion」
(そして死は支配をやめるだろう)は
Bassの厚み、他のパートの練られた声と音圧、
テンションの高さが自由曲と実に相性が良い。

 断続的に打ち付けられる
鈍い槌音を連想させるような暗い緊張感が刺激的。

 ただアルトの弱音、
ソプラノの伸ばす音、フレーズ終わりにもっと表情が欲しいし
全体の音楽として、中間部の弱音には
今までの流れとは違ったニュアンスが欲しかった。

 課題曲と同じく、
テンション高く、声と音圧でぐいぐい迫られたけど。
 「あれ、そういや正面しか顔を見れなかったな・・・」という印象でした。

 しかし、これは中国大会では無かったのだけど
最後の“動き”を含めた音楽は
盛り上がりもあって実に説得力がありました。

 この自由曲「And death shall have no dominion」で検索すると
その詩について解釈されたHPがいくつか。
 「死に支配されない」、ではその力とは何か。

 ゾリステンのメンバーは最後、
広がり、そしてステージ前側で1列になり、
一人一人が挑むように、訴えるように、歌い上げていました。
 「死に支配されないのは、人の意志の力だ」とでも歌うように。 

 その動きは必然性があり、声に力を確かに加えていました。
 世界を輝かしく広げるようなイメージが、そこに。



 アンサンブル vine
 (京都府・関西支部代表・混声29名)

 課題曲G1:Sancta Mariaは若々しい声がステージに満ちていく。
 なめらかなアルト、その上に乗るソプラノ。
 ここのアルトは私の好み、と何度も書いてきたけど
今回はソプラノも良いです。
 言葉にするなら「頭がいいソプラノ」。
 たいていの合唱団のソプラノって
 「私についてきなさい!」
  で。他パートに対し「…ところであんたらダレ?」
 って態度じゃないですか。え?違う??

 ところがvineのソプラノはバランスを見極めた上で音量を。
 合唱団の表情を俯瞰した上で音色を選んでいるような印象。
 そんなところが「…アタマいーなー!」と感心してしまうのです。

 音楽は、かなりゆったりとしたテンポ。
 遅めでも音楽を良く保ち、
その速度でしか出せないような味わい深い表現を、
大切に、かつ自然にして行く。

 決して直線的ではなく、おだやかな海面のような安らぎのもと
さざなみのように細やかな盛り上がり。
 そして凪のような静けさ・・・。

 音を、音楽を愛する雰囲気が高まっていくのと同時に
それぞれのパートの声が重なって。
 歌とサウンドが広がっていくステージが
本当に気持ちが良かったです。

 自由曲:Mäntyjärvi「Herr Olof」(ウーロフと人魚)
 Orbán「Regis Regum Ave」(天の御国)はそれぞれ
言葉と軽やかなリズムのつながりだったり、
優しい旋律だったり、あたたかなサウンドだったり、
それらが手を取り合って聴く者の心の水位を上げていくような。
 強烈な主張、では無いけれど、しかしそれゆえに
まぶたにまで少しこみ上げてくるものが。

 自由曲最終曲:Rutter「Sing a Song of Sixpence」
(6ペンスの歌を歌おう)は
小気味良い旋律、そして並び替え。
 またこの移動もスムーズ、
しかも音楽の流れを途切れさせることなく動きの合間に
隣と微笑みを交わす…など視覚的にも隙が無い!
 さらに横へ顔を向けても、響きの位相が変わらない!!


 たとえば課題曲などでは、そのゆったり目のテンポは
確かにvineならではの表現に必然だったけど
その表現に多くの人を納得させるだけの説得力があったか、というと
やや疑問は残るけれども。

 ・・・でも、良かったなあ。


 ここからは全くの余談なんですけど
 「合唱に無関係な人を引き付ける合唱演奏とは?」と
いつも心のどこかで考えている自分がいて。

 それはかつての札幌での全国大会。
 自分が参加していた団体を含む数団体だけ聴き
 「疲れた」…と言って帰ってしまった両親のこともあるし。
 (ちなみにこのとき「演奏どうだった?」という私の質問に対し
  開口一番出た父親の言葉が

  「なにわコラリアーズ、上手かったな〜!」でした。
  しかも横で大きくうなづく母親。

  ・・・えーと、私が歌っていたのは関西の男声合唱団などではなく
  中部の混声合唱団だったんですが)

 「サークル」と「合唱団」の両立、という
無理難題を目標としていた大学グリーに所属していたのもその一因。
 「オレ、別に合唱好きなわけじゃないし」と
平然と言い放つ団の中心人物と
そんな発言が認められてしまう周囲の雰囲気に
「合唱好き」の自分の心が引き裂かれるのを感じながら、
それでも
 (じゃあ、“合唱好き”に少しでも近づいてもらうには?)
 …と今に至るまで考え続けるきっかけになったこともあります。

 音楽に限らず、本でも、食でも、その他なんでも。
 「入り口に立てばその深遠が見える」…というわけでは無いはず。
 もちろん真に優れたものは、
入門者にもその良さを感じられることがありますが、
やはり経験を積み、段階を踏んでから分かる“良さ”というものが
大部分でしょう。

 だからたとえば。
 高校時代はハンドボール部に所属していて、
「なんかスポーツやりたいなあ」とか思いながらも
全くの未経験ながらなぜか大学の混声合唱団に入ってしまい
おまけに全国大会まで行くことになった
川倉くん(19才・バリトン)という学生さんがいるとしましょう。

 午前中の自分たちの演奏が終わって
「熊本城見てラーメン食べようぜー」と仲間に誘われるも
1学年上の高島先輩(アルトのサブパートリーダー)が
プログラム一般Aの欄を熱心に見ているのが目にとまるわけですよ。

 「…高島センパイは熊本観光、行かないんですか?」
 「この一般Aの部がね、去年初めて聴いたんだけど、
  すごく面白いのよ。勉強になるし」
 
 この高島先輩こそ、川倉くんを最初に誘った人物であり、
川倉くんが入団し今も続けている“理由”なのでありますが。

 「勉強、ですか〜」
 「そう。良い合唱団を聴くのも勉強になるよっ」
 「じゃ、じゃあオレも聴いていきます!」

 などと言って、ちゃっかり高島先輩の隣に座って
一般Aを聴く川倉くん。
 7番目のvineの演奏が終わって。
 「どうだった?」と高島先輩に訊かれ
 「えっと、上手いんですけど、それだけじゃなくって
  動くのもキレイだったし、
  なんつーかフンイキいいし好きだなあ…って」
 「そうそう! この合唱団、雰囲気いいよね!
  私、好きなの!」

 …高島先輩の笑顔と“好き”という言葉に
少しドギマギしてしまう川倉くんなのであった。


 自分で書いてて腹立ってきた・・・。
 川倉くん、キミ、明日にも合唱団辞めていいよっ!
 ハンドボールでもなんでも投げてなさい!!

 ・・・えーと、そういうわけで、
「合唱の入り口」に立った人をどれだけ奥へ引き寄せられるか。
 そういう意味でも、このvineの存在はとても貴重で
有り難いものだと思うのです。
(ああ余談長かった)



 マルベリー・チェンバークワイア
 (神奈川県・関東支部代表・混声25名)

 課題曲G2:The Coolinは
やはり個々人の声の良さが光る。
 ゆったりめのテンポでも音楽を保つソプラノの巧さ。

 だが、各パートでは表情があるが、
合唱団全体としては表情に乏しいような。
 パートごとの掛け合い、アンサンブルの感覚にも「?」。
 声があるため、ダイナミクスは常に
メゾフォルテから上に強く聞こえ、
柔らかさや弱音の切なさ、
つまりこの曲の本質である“恋ゆえの甘さ”が感じられない。

 自由曲3曲は、聞き違えるような別の団体に。
 Lukás「2.In Semita iusticiae vita」(正義によれば)は
激しく力強く、支えのあるしっかりした発声が
実に曲に合っていて、
深みのある響きのバスのニュアンス、
音楽の変化、不気味な中間部、
そしてフォルテの余裕、と
発声面での素晴らしさが演奏に良く現れる。

 2曲目:Quintana「Ave verum Corpus」は
息の長いフレーズを途切れることなく歌い、
響きもハーモニーも上等で優しい世界を現し、
さらに音圧を徐々に増やしていく、余裕まで感じさせる上手さ。

 3曲目:Rubtsov「Véniki」は
「ほうき」という題のロシア民謡だそうだが、
最速の早口言葉が驚くほど軽妙。
 目まぐるしいスピードの中に
バスの深さとソプラノの響きが良い彩りを加えていた!


 発声面ではトップレヴェルの優れた団体。
 今後は個々人、パートだけではなく、
「合唱団としての表現」にこだわって欲しい気持ちが私にはあります。
 選曲でも分かるように、とてもセンスの良い、
勉強熱心な指揮者の方だと私は思うので。

 あ〜、課題曲が、とにかくモッタイナカッタ!




 <金賞受賞団体>


 合唱団まい

 (長野県・中部支部代表・混声18名)
 日本放送協会賞。

 課題曲G1:Sancta Maria。
 いつもながら「ひとつの生命体」として感じさせる団体。
 これは、単に「指揮者に合わせている」だけではなく
団員全員がその場で流れる音楽を見つめ、
細やかに、かつ自発的に自分を投げ出しているからだろうなあ。
 「まとまっている」というだけではなく、
脈動している、生きている、というものをいつも感じさせてくれる。

 演奏の解釈は、実に彫が深い。
 歌そのもののアルトから始まったその音楽は
哀しさを多く含み、徐々に高まっていく。
 例えば「refove(癒してください)」の“re”の
新たなフレーズが始まる発語の輝き。
 「ora pro populo(民のために祈ってください)」。
 音圧も、音量も上がっているのに
繰り返しではなぜか内省的なものを感じさせる不思議。
 光と影が、交互に音楽へ立ち現れては消えていく。

 最後は想いを発散せず、
裡にこもっていくような終わり方だったが、
それもまた人としての奥深さを思わせるような演奏。


 自由曲:三善晃「ほら貝の笛」は

 「海はほら貝を忘れた
  ほら貝は海を忘れた」


 というアルトの旋律へ男声のハミングが絡むだけなのに、
どうしてこんなに海を、世界を感じさせてしまえるのか。
 今まで聴いた「五つの童画」の「ほら貝の笛」の演奏で
ここまで素晴らしいものは聴いたことが無いほど。

 残念ながらピアノが入ってくると、
18名という人数ではピアノを越えて声の説得力が届かなかったり、
発声が単なる叫びになってしまう部分もあったが。

 しかし後半、ふたたび無伴奏になると
歌と、言葉、そして音が結びついた
確かな世界をステージに出現させていた。
 遠くから潮騒がかすかに聞こえてくるような…。


 単なる音の素材なだけの声の演奏ではなく、
言葉と、そして音楽と結びつくと
声は、こんなにも確かな世界を創り上げることが出来るのだ、ということを
心から信じ、そして実践しているロマンあふれる演奏でした。



 CANTUS ANIMAE
 (東京都・東京支部代表・混声32名)
 文部科学大臣奨励賞・シード。

 課題曲G1:Sancta Mariaは
まずテンションの高さに引き込まれる。
 しかし、圧倒する、押し付けがましいものではなく、
そのテンションがCAにとっては自然なもののため
例えば高速道路に入って
時速150kmの車からの風景のような。
 車窓からの景色が静止して見え。
 濃密な空気の中、すべてのもの、
CAが表現したいものがハッキリ見えるような・・・。

 表情付けも細やかで、
ほとんどの団体が弱音は単なる“弱い音”にしか過ぎないのに、
CAは弱音にも、これから光へ向かっていくのか、
それとも裡に沈んでいくのか・・・という
ベクトルと感情が見事に音へ存在していました。

 中間部の憂いに満ちた表現も素晴らしく、
感情のレンジがとにかく広い。
 特に第2部は、高みへ、もっと高みへ!…と
指の先端まで張りつめ光へ手を伸ばすような。

 「まい」とは違い、
充分にその想いを発散させるような曲想でした。


 自由曲:千原英喜・混声合唱のための「おらしょ」から「2」も
出だしのフレーズが柔らかく、かつ深いことに驚き。
 ユニゾンの説得力にも打たれました。

 音楽が各部分で鮮やかに変わり、
それぞれが確かな存在感を持っていて。
 前半はグレゴリオ聖歌を思わせる流麗な美しさを。
 後半の日本語は語感を大切にし、
祝詞を思わせる発声や地声を交え。

  そこまでやっていてもありがちな
「目が回って、小賢しい」印象ではなく
テンションの起伏、
音楽の各部分の繋がりがとても上手く滑らかで、
自然にその世界に入ることができ。


 難を言えば発声に同じイメージがやや欠けているため、
パートごとの統一による声の説得力が足りないところ。
 そして「理想とする発声」のイメージがあまり高いところに無い、
というのが残念な箇所では無いでしょうか。
 こんな仮定は無意味かもしれませんが
ある決まった和音をロングトーンで伸ばす、
という審査が一般Aであったとしたら
CANTUS ANIMAEの順位は中ほど、銀賞の真ん中ぐらいに
なってしまうのでは、と思います。

 そして、特に自由曲であそこまで音楽を「創り込んで」しまうこと。
 これをどう評価するか、というのは難しい問題だと思います。
 ただ私は 「こんな『おらしょ』、聴いたことが無い!」と
思い付きなどではなく、雨森先生の確固たる信念と
鋭い考察の下で練られ、
創造された新しい「おらしょ」に魅了されましたが。


 「まい」と同じく、単純に声が声だけに終わらず、
言葉が、人の声が、どれだけ聴く者の感情を動かせるか。
 そんな可能性を極限まで信じ、分析し、実行している。
 指揮者と歌い手が創り上げる、実に感動的で、
稀有な演奏だったと思います。



 女声合唱団ソレイユ
 (佐賀県・九州支部代表・女声32名)

 佐賀女子高の合唱部が母体なのでしょうか。
 平均年齢22歳の、結成して1周年という若い合唱団。

 課題曲F3:「雨の日」は
発声が透明で言葉遣いが細やか。
 そしてえーとえーと・・・。

 すいません、苦手な合唱団、というか
「意識が集中できない合唱団」というものが稀に私にはあるもので。
 決して眠たかったわけでは無いのですが、
この団体の時はいつのまにか意識が
演奏から違うところへ行ってしまっていました。

 自由曲:Nystedt「Mary’s Song」も
弱音の表情の美しさとフォルテの支えの確かさなど、
よく練習していて本当に高い水準の合唱だと思うのですが。
 ・・・やはり、自分の意識がどこかへ行ってしまっている。

 本当に申し訳ありません!
 この次、聴く機会があることを願って!!

 (あ、メモを見たら
  「ドレスのキラキラがまぶしすぎ」
  …って書いてる。演奏の感想じゃないなコレ)



 合唱団からたち
 (福島県・東北支部代表・女声32名)

 福島県橘高校(元・福島女子)のOG合唱団。
 指揮はもちろん菅野正美先生。
 年齢18〜23歳の、結成して1年足らずの若い合唱団。

 課題曲F2:Immer,wenn der Märzwind wehtは
最初の声から「わっ」、と広がりを感じさせ、会場を掴む。
 自然な躍動感。自発的な、伸びやかな歌が気持ちいい。
 主旋律に対し奏でられる8分音符の連なりの
「♪LaLaLa…」も機械的にならず心からの喜びが伝わるように。

 以前、福島女子高校合唱団のHPを見たとき生徒さんの書き込みで

 「菅野先生が

  『歌に対し、こんなやり方はどうだろう、
   あんなやり方はどうだろう、と
   自分たちで試行錯誤していろいろやってみる、
   それこそが力になるんだよ!』

  そう、おっしゃっていました」
 ・・・という意の言葉を思い出しました。
 
 普通の一般団体と並べると、どこか窮屈な
「先生に号令をかけられた」ような演奏の印象が多いOB合唱団。
 「からたち」はそんな印象はほとんどなく、

 「遊んでおいで!」と菅野先生が解き放ち、
団員たちが広い庭へ飛び出していくような・・・。
 そんな自由さと楽しさが感じられる演奏。


 自由曲:鈴木輝昭「二群の女声合唱のための アルス・アンティカ」。

 「蜩のモティーフ」は高音部がキツかったり、
32人ではやはり音響面で人数が少ないかな。
 フレーズの始まりや発声のほころび、パートの統一感の甘さなど。
 細かいところはあるのだけれども。

 しかし、鈴木輝昭作品の魅力を私に“分からせてくれた”CD、
「女声合唱の饗宴」と全く同じ指揮者、曲目、
そして演奏団体、のOG合唱団の演奏ですよ。
 聴く前からワクワクして。で、実際聴いて 「…いいなあ!」

 さりげない、押し付けすぎない緊張感の元、
よく計算されたテンションの盛り上がり。
 そして何と言っても多彩な“声”のイメージの奔流!

 太く低い声から、高く、空気に溶ける声まで…。
 思わず目をつぶり、声が綾なす鈴木輝昭の音世界を楽しみました。

 色聴を持っていない私ですが
さまざまな色の、音の柱が吹き上がり、立ち上がるような。
 
 改めて「名曲だ!」との思いを強くしました。
 そして「人の声って・・・美しいなあ!」とも。


 OB・OG合唱団に関しては、
その成り立ち以上に演奏から
どうしても否定的な印象を持ってしまうのが常の私ですが。
 この合唱団はほとんどそういうものを感じませんでした。
 これから年齢の幅が増えることにより、
「合唱団からたち」、どう音楽が変化していくのか。
 少し不安であり。・・・楽しみでもあります!



 クール・シェンヌ
 (奈良県・関西支部代表・混声32名)
 熊本県知事賞・シード。

 課題曲G3:「とむらいのあとは」は
よくブレンドされた声のヴォカリーゼがまず素晴らしく
最初の「たおれたひとの たましいが」の歌の深さに泣きそうに。
 いわゆる“熱い”演奏なのだけど、
しっかり縦のハーモニーが共存している。
 そして最初から熱さを感じていたはずなのに、
それでもさらに、徐々に、徐々に音楽を、気持ちを盛り上げていく。
 高みに果てが無い。
 一面的な熱さではなく、さまざまな心の襞、
多彩な音楽の全てが演奏に込められて。

 そして頂点。フォルテッシモの後、ピアノで優しく歌われる

 「ひきがね ひけなくなる
  歌のこと」

 終わりの 「ゆめみよう」 のリフレイン。
 願いが天へ消えていくような減衰に目が潤みました。

 感動的な曲、のはずなのに、
なかなか感動させてくれる演奏はなかった「とむらいのあとは」。
 シェンヌのこの演奏、真の名演です。


 自由曲:schönberg「Fride auf Erden(地上の平和)」。
 相当な難曲だと思うのだけど、
各パート、個人が曲を深く理解し、
その音楽の持つさまざまなニュアンスを見事に表している。
 細かな明暗の差や、主になり、従になる音楽。
 そして今までは声があるためほんのわずか
「ソリストの集まり」…という印象があったシェンヌ。
 今回は本当に「合唱団としてひとつ」。
 合唱団ならではの表現の階調というものを感じさせてくれました。
 例えばバスから始まった音楽が、少しも断絶せず、
この上なくなめらかにテノール、アルト、ソプラノ、と受け渡されていく。

 「まい」の時も思いましたが、
単に指揮者の指示に合わせるのではなく
他のパートの音楽を、
どれほど自分の音楽として捉えられるか。
 そしていま進んでいる音楽に、
「決め事」ではなく、いまどれだけ掴まえられるか。
 それらの結果が「合唱団としてのひとつの表現」に
つながっているのだと思います。

 本当に、風が草原の葉を裏返していくように、
音楽が、感情が、シェンヌの中を吹き渡っていくんですよ。

 この曲は難曲の現代曲ゆえに
そんな印象だけで終わってしまう可能性もありますが。
 シェンヌは表現しようとする、その優しさ。
 その哀切さ。
 語りかけてくるような説得力。
 すべては、愛、としか言えないようなさまざまな感情。
 やはりまぶたにこみ上げてくるものが抑えられませんでした。

 今まで聴いたシェンヌの演奏で1番!


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