演奏会感想の部屋

 

     コンクールについて
       (信長先生と大谷先生の対談から)


 コンクール、演奏会の「感想」ではありませんが
掲示板に書いたものを再び載せます。



 2005年ハーモニー冬号での「全国大会座談会」。

 高校の部での
作曲家:信長貴富先生、指揮者:大谷研二先生の会話に
 「…そうだよなあ〜」と。

 強引に要約すると、
 曲の難易度が肉体的にも心理的にも
限界が来ているのではないか、という信長先生の意見に
大谷先生が、
高校生が長い時間練習するためには
ある程度難易度の高い曲を扱うのは仕方が無い、としながらも
それを回避するためには
コンクールのあり方を変えなければいけないとして

 1)演奏曲目を増やし、多面的に演奏を審査できるようにする
 2)審査の仕方を「技術点」「解釈点」「印象点」「声」と
   4つに分けて客観的に評価する。

 ・・・という提言がされていました。
 1)は現実として、時間の制限もあり、かなり難しいですかね。
 ルネサンス、近代、現代から1曲ずつ選んで
12分以内、とかなら現実味があるかなあ。
 課題曲の曲数を増やして、違ったジャンルから
計2曲の課題曲を歌わなければならないようにする、とか。

 2)については、どうなんでしょう。
 審査表を受け取る側からすると、自団の何が良い点か
何が悪い点なのか、ということが
ハッキリ分かって有り難いかもしれませんが
審査員側からの反発がありそうな気も。
(それともかえって気楽になるんでしょうか?)


 大谷研二先生のお話で
「そうなんだよ!」と声を上げそうになったのは


 それに高校生の場合、
簡単な曲を音楽的にすごく深めるというのは、
かえってとても難しいことで、
むしろそれはプロフェッショナルの仕事なんですよね。



 私が学生の演奏に最近あまり興味を持てなくなってきたのは
何回か書いてきたと思いますが、
その理由を端的に語るとすれば
大谷先生のおっしゃるような事なのではないかなあ、と。

 音楽的に深めることをせず、ただ単純な練習を執拗に重ねる。
 その結果、中学校の部で藤井宏樹先生がおっしゃるように

 「たくさん練習すれば練習するほど、
 ある意味では新鮮な感動が色あせる」

 音楽的に深めないで練習を重ねることは、
マラソンで懸命に、歯を食いしばって、汗をかいて!
…その場で足踏みしてるようなもんじゃないでしょうか。
 プロの音楽家に
 「練習をし過ぎることで損なわれるものがあることを
  アマチュアの方々はもっと知った方が良いのでは」
 と言われたこともあったなあ。
 
 「練習をするな」ではなく、
その質をもうちょっと考えてみたら、ということなんでしょうね。

 もちろん合唱団員、指導者としては
 「何が音楽なのか」ということを知り、それを伝え、
指導することの難しさももちろんあるのでしょうが。


 大谷、信長両先生の座談会、最後の方で
 「3年続けて出場すると次の1年は出場を休む」
 「休んだ年に演奏会や演奏旅行をする。
  そのサポートを合唱連盟がしてくれれば」
 などのご発言があって。

 …これらの言葉は、高校の合唱団もそうだけど、
一般の部の合唱団員が
胸に刻んだ方が良いんじゃないでしょうかね。

 これから暴言を承知で書きますけど
例えば連続金賞受賞、というのは
大変素晴らしいことだと思うけど。
 でも、同じような選曲で連続金賞の団体って多いような?

 かつて全国大会金賞シード団体の団員さんの発言で
 「シードはツマラン。
 緊張感やモチベーションを保つのが難しい」
 …というのを目にしたことがあるけど、
去年と同じような系統の選曲、演奏だったら
そりゃ緊張感もモチベーションも保つのは難しいでしょう。
 新しいことにチャレンジせず、
今までの繰り返しで、
興奮と新鮮味を保てる人がどれぐらいいることか?

 いっそのことシード団体には連盟が
 「アンタんとこ、来年の自由曲は
 ●●(← お好きな作曲家を…)禁止ね!」
 とか制限を加えちゃうのはどうでしょう。
 金賞団体全団体にそういう制限も、いいな。

 かつて合唱団MIWOは
 「ルネサンス、近代、現代、邦人作品で
  それぞれ金賞を取ったからコンクールは引退した」
 …という理由を聞いたことがありますが
 (もちろんそれだけが理由ではないのでしょうが)
金賞という評価を得て、その後に
次々と違う系統の曲をやろうとする姿勢は素晴らしいですよね。

 金賞シードを取った、とある指揮者の方は

 「シードは・・・『遊べる』んだよね」、とニヤリ。

 無条件で全国大会に進める貴重な機会。
 今まで無伴奏ばかりやっていた団体は
ピアノや全く違った楽器との共演や、
全く違った作曲家の作品演奏、
それともそれとも演出を付けるのも面白い。

 何と言っても「最高の経験」が得られる“本番”が
3回(北海道は2回)あるのですから!
 去年と同じ系統の曲をやるのって、
すごくスゴクもったいない気がするなー。

 もちろん
 「全国大会という貴重な場で、
  自分たちの極めようとする系統の曲を
  磨き上げようとする」気持ち、も
分からなくはないんですが。

 でもねー。
 その「極めようとする曲」を伝える相手、って
審査員も含めて、
観客もほとんど1年ぶりに会う相手じゃないですか。

 じゃあ例えば1年ぶりに会う恋人に
全く同じような表情、
まっったく同じような言葉で気持ちを伝える・・・。
 それでアナタはいいんですか?!
 …と尋ねたくなるんですよね。

 別の言い方をすると、コンクールだけでしか
その「極めようとする系統の曲」は深められないのか。

 そういう団体って、演奏会だと
「極めようとする曲」だけ立派で、
その他のステージはかなーりお寒いような印象の、
引き出しが少ない演奏会が多いような。偏見ですかね、ね?


 以前、書いたことがあるけど、
審査発表前の空き時間に連続金賞の団体や
コンクールを引退した合唱団をゲストとして呼んで
20分間ほど好きな曲を演奏してもらえたら素敵だな、と思います。
 高校の部での提言のように、
連続金賞団体の演奏旅行のサポートを
連盟がするのも実に有意義だと思います。

 信長先生の締めのお言葉。
 これは高校生だけではなく、
一般団体こそ心に刻んで欲しいと思います。


 重要なのは有力校が君臨し続けることじゃない。
 地域の同じ世代の人たちや、あるいは中学生に、
 良い音楽や合唱の楽しさを広げてほしい。
 全国大会に選ばれた人たちは、
 そういう責務も担っているんだと思うんです。
 コンクールの先にあることを忘れないでほしいですね。



 そう! ちょっと矛盾した書き方になりますが
コンクールの先にあるものを感じられるような、
そんなコンクールのあり方が、私は理想だと思うんです。
   

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