演奏会感想の部屋

 

 

 『Ensemble Vine』(京都府京都市)
 男声10名・女声13名。


 2000年に結成され、不定期に活動をしており、
伊東さんが指揮する合唱団「葡萄の樹」団員が多いそうだ。
 (とある情報によると、就職や転勤などで関西を離れたメンバーも多く
  全員が揃うのは当日だけだったのではないか、ということ)

 演奏前に司会の洲脇光一先生が
今回Vineが演奏するラトヴィアの作曲家Dubraを取り上げ
 「どういう作曲家なんでしょうねえ。
  指揮者の伊東さんにきいてみましょう。伊東さん?」
 指揮者の伊東恵司さん登場。おもむろにひとこと。

 「私も知りません」

 (…いとぉさあああ〜〜〜〜んんん!!!)

 それでも伊東さんと同世代、1967年生まれの若い作曲家なのでは、と。
 若い、と言えばこのVineもメンバーは相当若い。
 平均年齢、せいぜい二十代中頃?


 Sicut cervus (G.P.da.Palestrina:作曲)
 Saarella palaa (J.Sibelius:作曲)
 TUROT ESZIK A CIGANY (Z.Kodaly:作曲)
 Ave maris stella (J.Busto:作曲)
 Mundi renovatio (G.Orban:作曲)
 Ave Maria (R.Dubra:作曲)
 Put,vejini (ラトヴィア民謡 I.Raminsh:編曲)

 
 昨年の宝塚でも聴いた「Sicut cervus」
 見た目と同じく、若々しい、よく整えられた透明な声。
 演奏はやはり流れがとてもあり、音楽のどの箇所でも止まらず、
決してその流れが淀むことはない。
 以前に聴いた感想では「流れを重視するあまり、各表現に抑制が効きすぎ」
…などと書いたが、今回の演奏も
「ケレン味たっぷりな、大袈裟な、これみよがしな、唐突な」
そんな表現は全く、どこを探しても、一切存在しない。
 狭い振幅の範囲で発信している印象の表現。
 ・・・が、『伝わる』、んですよ。これがなぜか!

 「なにコラ」の演奏でも感じる時のように、
その音楽の流れに身をひたしていると、心が静かになっていき、
ステージから、音楽へのひかえめな、しかし深い喜び、
生きることへのしみじみとした肯定、
そんなほのかな温かみが伝わってくるような・・・。

 「抑制」と私は書いたがそれは間違っていたのかもしれない。
 本来持っているものを削るのが「抑制」の意味なら、
この表現からは「削っている」という印象をほとんど受けない。
 目指す音楽があって、そこに向かっている結果が、
この、振幅の決して広くはない、とても静かな、自然な音楽なのだ。

 その音楽に引き込まれ、身を正して集中している自分に気づく。

 「Saarella palaa」は女声の歌が軽やかで愛らしく、
聴いていると自然に笑みがもれてしまう。とても良い演奏。

 「TUROT ESZIK A CIGANY」
「ジプシーがチーズを食べる」と言えば
「ああ、あの曲!」と思う人も多いだろうか。
 テンポの速い、細かいリズムでも決して雑にならず、
勢いで押しつけるどころか逆に「知性」を感じさせる。うーむ。
 それはやはりリズムの細かい強弱をしっかり理解して表現しているのと、
音楽の大きな部分では上品な流れの設計が良く出来ているから。
 しかもアンサンブルは一体感ある響きで明るく透明。
 しかもしかもそれだけのことをやってその表現は自然。
 再び唸らせて頂きます。「うーむ」。

 「Ave maris stella」はソプラノ独唱が全体にある曲。
 そのソリストさんはやや不調だったものの、
曲はソリストのフレーズの終わり、一部分をエコーのように繰り返したり、
息を使った表現など、Bustoらしい面白い曲。
 Bustoといえば、その和音、響きがかなり特徴的だが
その「響き」への細心さが見事。
 ピアニッシモやそれに向かう減衰の表現も上手いな〜。

 「Mundi renovatio」
プロムジカ女声合唱団の演奏が記憶に残る曲。
 混声版もあったんだね…と無知を恥じる。
 プロムジカの印象が大きいとはいえ、
このリズミカルなノリの良い曲をやや、「アタマで歌っているなー」
…という感じ。それはそれでもちろん素晴らしいんだけど、
もっと『ノッ』て、テンションをガーッ、と『高めてみせる』ことができれば、
このステージで、この曲を選んだ意味が出るのでは。
 ―― 観客の気分を良い意味で変える、という。
 そういう感情表現の圧力を高くしてから、鮮やかに一転して、
いまの知的な演奏が出来れば、聴く者が身震いするほどだと思うんですけどね。

 演奏前に話題になっていたラトヴィアの作曲家Dubraの曲は「Ave Maria」
 女声のささやきから音楽が始まり、その上に各パートの旋律が乗る。
 同じ旋律をそれぞれのパートがずらして歌い、そして変化していく。
 現代音楽作曲家の作品、という印象が強いが(ちょっとBusto的?)
 「Sancta Maria」からの音楽にはあたたかさも感じられ、
とても聴きやすく、かつ興味深い作品。

 「Put,vejini」はソビエト支配下の時代、
ラトヴィアの人たちが「国歌と想って」歌っていた曲だそう。
 その想いを表したのか、男女のペア、あるいは3人ひと組みになり
ステージ上に散らばっていく。
 優しい、流れるような旋律。
 明るさの中の切なさ、ともいうべき感情が伝わり、
眼を閉じて聴きたくなるような演奏。
 良い曲だし、たいへん見事なステージ最終曲だ!
 (検索したら「風よ、そよげ」という邦題で
  「5つのラトヴィア民謡」の最終曲。他の曲も聴きたくなりました)


 演奏全体を振り返り、率直に感想を書くと
 「これぐらいの演奏時間なら良いけれど
  もしも何ステージもある単独の演奏会だったら・・・
  …眠気が湧いてくるかも・・・」という危惧が、少しある。

 発声、音への反応、指揮者の選曲や、音楽性の素晴らしさはもちろん認めるが
何度も書いてきたように表現の振幅、
そしてその種類がやや乏しい気もするのだ。

 しかし、表現の種類は別として、さして広くない振幅の中から
いや、広くないからこそ伝わってくる音楽、想いは、
昨年聴いた時より遥かに素晴らしく、感動するに充分なものだった。

 文章の書き方で、記憶に残っているものに
 「上手い文章を書こう、とかじゃなく、
  あなたの文章を
  あなた以外の人が読み終わった後、
  なんと言って欲しいか。
  ・・・言って欲しいひとことを目指して書けばいい。」

 そんな言葉があって。

 プログラム中Vineの項には
 「歌を愛する気持ちと共に
  新しい世界にチャレンジする意欲を持って
  活動していきたいと思っています。」…と書かれている。
 さらにその前には
 「温かい音楽を目指すこと、」とも。

 最初の「Sicut」「Saarella」。
 7月の札幌、午前中。まだそんなに暑くはない外に出て、
木もれ陽を浴びて歩いた時を、聴きながらずっと思い出していました。
 そんな爽やかさと同時に気持ちの良い温度を感じられる団体。
 Vineの目指している温かい音楽。「確かに伝わりました!」





 『合唱団まい』(長野県伊那市)
 男声9名・女声8名。
 黒で統一の衣装。
 雨森文也先生の指揮。


 「RequiemよりIntrotius:Requiem aeternam
 (イントロイトゥス:主よ、永遠の安息を彼らに与えたまえ)
 (T.L.de Victoria:作曲
 「マドリガーレ集」より
    Ecco mormorar l'onde (波はささやき)
    Si ch'io vorrei morire (こうして死にたいものだ)
    Che se tu se'il cor mio (あなたは私の心の人ですから)
    Quel augellin che canta (とても甘美に歌うあの小鳥は)
    (C.Monteverdi:作曲)
 「クレーの絵本」第1集より「あやつり人形劇場」 (三善晃:作曲)



 前の団体Vineとなんて、なんて対照的な団体なんだー!
 なぜ、涼しい信州から来たはずなのにこんなに暑い、いや熱いんだー!

 Vineが涼しげな日本庭園を見ながら
美しく精緻に盛り込まれた料理を口に含み。
 あれ、ちょっと薄味なんじゃ…と思ったとたん
上品なお出汁と素材の旨みがいっぱいに広がって
頬に微かな笑みが浮かび
「…美味しいですねえ…」 とつぶやく『京風懐石』なら。まいは。

 まいは。満員の狭い、騒然とした店内。油で汚れたメニューを横目で見ながら
となりの客とくっつきそうなカウンター。
 あるはずのエアコンはちぃとも効きやしない。
 かすかに扇風機の風が感じられるだけ・・・と思ったら
突然火柱あがる数万キロカロリーの火口の上で黒光りの踊る中華鍋。
 大皿にどん・どーん!と、劇盛、劇熱、劇辛の『本場四川中華』が出現する。
 ハシを使うのもまどろっこしく、レンゲですくい、顔を皿に突っ込み、
がががッと食う、喰う、流れ落ちる汗をぬぐいながら喰らう!
 あれほどあった料理を舐めるようにして消し去り、
コップの水をぐぐっと飲み干しカウンターに叩きつけヒトコト。「うめぇ!」

 ・・・演奏はそんな感じでした。まいの感想おわり。




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