演奏会感想の部屋

 

    なにわコラリアーズ第9回演奏会

                  
2003 5/4 18:00〜


  ・・・いま私は非常に迷っている。
  なぜならこの演奏会、たいへん人気があるため、
 800席のいずみホールでも当日券を買えずに
 入場できなかった方々がいたのだ。

  今回の演奏会を聴き終わった後、
  …いや。 第1ステージが終わった後に

  「来年も必ず聴く!」…と決意した自分にとって
 感想で「なにコラ」の良さを語るのは
 私自身が来年入場できなくなる自殺行為ではないか。

  どうしよう。


  ・・・そうだ。
  あまりホメなきゃいいんだ!
  むしろ積極的にケナす方向で!

  えーっと。
  ベースがパート内の統一感をもう少し追求できるかも。
  他パートとの重なりなどで「惜しい…」と思う箇所がいくつか。
  セカンド、バリトンは和音のひとつとしての音色では素晴らしいけど、
 主旋律を歌う時は旋律感や音色にやや甘い部分があったかもしれません。

  えぇと後は。「・・・・」

  あ、と、は・・・。
 
  そうだトップテナー!
 
 
  
「上手すぎてイヤミ!!」
 
 
  ・・・あと「なにコラ」の上手さってどちらかというと、
 聴くものに「押しつける」んじゃなく、
 自然な感じで優しく、ふっと心に届くような上手さかも。
 
  だから聴いていると「男声合唱ってこういうもんだよな〜」
 …といつのまにか自分の中で新しく基準を形づくり、納得してしまう。
  でも「なにコラ」を男声合唱のスタンダードとした後で
 他の男声を聴いて落胆し、
 なにコラが忘れられなくなっちゃうのはカンタンに想像できる。おぉコワ。
 
 
  
私をこんなカラダにしたのはあなた(なにコラ)のせいよっ!

   
責任とってちょうだいっっ!!

 
  「なにコラ」体験後で他の男声を聴いたら、こんな印象を持つかも。
  なんて罪作りな合唱団だ! ニクイぜっ!!
 
 
  ・・・これでじゅうぶんケナすことになったかな。
 
  まあ、今日のところは、『この辺にしといたろか!』(←池乃めだか風に)
 
  2004年の入場者数、あまり増えなきゃ良いけどなあ。
 

 
  いずみホールは上からシャンデリアがいくつも吊り下がる
 豪華だが、ステージとの距離が近い印象のとても良いホール。
  聴いていても響きが気持ちいいし、歌っていても気持ちが良いそうだ。
 
  ほぼ満員の客席。
 
 
  第1ステージ
 
  Salve Regina (Knut Nystedt)
 
  Kord me tuleme tagasi
  Nagemus Eestist (Veljo Tormis)


  オンステージ55人、黒上下のメンバーが3列に並ぶ。
  指揮は伊東恵司さん(…先生、って書くと怒られそうなんで…)。
 
  聴き応えのある選曲のステージ。
  コンクールの自由曲候補だったのかもしれない。
 
 
  最初の音から“音量”はとても弱くても
 やわらかい“響き”が会場のいずみホールを越えてかぎりなく満ちる。
  早朝の、波紋ひとつない湖水の静かな面を見渡すよう。
 
  Nystedtの男声合唱曲は初めて聴いたのだが。
  和声に対する繊細な感覚を持つ「なにコラ」の演奏は、
 男声でも北欧の冷たく鋭い美しさを充分に出す。
 
  どのパートも素晴らしいが、
 特にトップテナーの品格ある歌唱はいままで聴いたことがないほど。
  知性を歌に滲ませ、旋律を常に意識し、
 他パートとアンサンブルすることを忘れない。
 
  ひとすじの光のように細いppは、幻想的な美しさまで感じさせ。
  高音域でも張り上げず軽く、軽く空気に声を溶け込ませる音は
 聴いている身も浮き上がって来るよう。
 
 
  後半、マイナーからメジャーの調に変わっていくとき
 歌い手の意識も、そして楽曲の世界も広がっていくのを感じた!
 
 2曲目の
 「Kord me tuleme tagasi (今我々は再び現れる)」
 低声部がトルミスらしい音型の繰り返しを重ね、
 その上にテナーが旋律を切れ切れに浮かばせる。
 浮遊感が聴くものに夢を見ているような気にさせ。
  鋭い中間部の後、ふたたび夢幻の空間に。
 
  3曲目の「Nagemus Eestist (エストニアの未来)」
 ベース、さすがの低音が地鳴りし、
 やはり反復でもって、徐々に頂点へ向かい、歌が進んでいく。
 
  最後、緊張感あふれる鋭い語句が盛り上がっていき
 会場を震わせるフォルテに!
 
 
  どの曲もどの曲も、コンクールの自由曲となっても
 全く不自然ではない技術と説得力で迫ってくるステージ。
 

 
  第2ステージ
 
  男声合唱組曲「東京景物詩」
  北原白秋 作詩
  多田武彦 作曲
 
  T.あらせいとう
  U.カステラ
  V.八月のあひびき
  W.初秋の夜
  X.冬の夜の物語
  Y.夜ふる雪

 
  この楽曲に対する説明はプログラムに書かれている
 指揮者:伊東恵司さんの解説を抜き出した方が良いだろう。
 
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 =東京景物詩について=
  明治37年(19歳)東京へと上京した北原白秋は、その後、文芸懇話会
 「パンの会」を起こし、処女詩集『邪宗門』に続いて『思ひ出』『東京景物詩』
 等の作品を残しているが、特に後者では郷土や幼少時代への愛惜と
 交差するようにして、新しくエキゾチックに彩られながら生まれ変わる都会の
 風景の中に官能的で耽美的でもある抒情を感じ取っている。
  白秋が多用した新俗謡体は『東京景物詩』において、柔らかでたおやかな
 情緒を喚起させ、近代的な東京風物や江戸の下町的混沌を抒情歌謡の
 ようなスタイルで表現するのに適していたと言える。…「あらせいとう」
 「カステラ」「サモワール」等、選択された言葉からは本来の意味の現出
 ではなく、そのバックグラウンドに流れる個人の人生の最も大切な部分を
 突き刺す感情を押し込めたような愛おしさが覗く。優雅でダンディな感覚は
 決して表層のオブジェに留まらず、通底する人妻松下俊子への秘めたる恋の
 悩みやその背徳感、人生全体に還元し得る悲しみと傷みに結びつくような
 深みのあるロマンチシズムを感じさせる。
  この曲自体は多田武彦にとってわりと近年の作品になるが、往年の作風を
 回顧するかのように「歌詞に内在するリズムや抑揚、情緒」が大袈裟でない
 音楽として表現されている。優雅でエロチックな隠喩と想像力に満ち溢れた
 言葉は、時代や人生の殺伐たる展開の中においても決して失ってはいけない
 最も大切なもの=『抒情/リリシズム』と戯れること、呼吸することを私にも
 想起させてくれた。まるで、言葉は人が持つそれぞれの痛みにそっと手を
 当ててくれるかのようである。

 …ちなみに、白秋はこの詩集の後、知られた通りの姦通罪で拘置され、
 世間の非難と罪の意識を背負って錯乱状態のまま木更津に渡ることになる。
 やがて、大正2年には俊子と正式に結婚。新生を求め三崎へ移住するので
 ある。
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  幼年時代への郷愁、そしてその時にも
 湧きあがってくる俊子への想い・・・。
 
  そんな切ない空気を漂わせながら、なにコラの演奏は流れていく。
 
  植物園で「あらせいとう」の種を取る子どもに
 愛するひとの泣く姿を重ねる。
  流れる息と旋律の美しさ。
  片恋の憂いが旋律の消えゆく想いに重なる。
 
  「カステラ」ではホールの床を震わせるベースの低声が魅力。
  “ 赤い夕日に、うしろ向いて ”…と
 すぐフォルテに持っていかず、
 音量と響きを徐々に、徐々に広げていくその心地よさ。
  そして “ ひとり植ゑた ”で一瞬の緊張の後、
 “ 石竹 ”で伸ばす音の、湿った、あたたかく柔らかい音に
 白秋の幼年が浮かび、自然と涙が誘われる・・・。
 
  「八月のあひびき」でもほろ苦いベースの痛みに共感させ、
 旋律の減衰から、また次の旋律につなげる繊細さ巧みさ。
  曲の終わりは声が裡に沈みこむのではなく、
 遠い彼方へ消えていくデクレッシェンドを目で追いたくなる魅力があり。
 
  「初秋の夜」の軽妙さと緊張感の対比。
  軽妙さ、と言えばこの曲集最後の
  「夜ふる雪」も繰り返すリズムの軽妙さの中に立ち現れる哀しみを見事に表現。
  こういう、一見明るく見える中の哀愁を表現するのに
 男声合唱ほど適しているものはない、と改めて教わったような・・・。
 
  しかし、このステージでの一番の名演奏は
 終曲の前に歌われた「冬の夜の物語」だろう。
 
  トップテナーが抒情ゆたかに
 白秋と俊子、ふたりの間にたゆたう優しい空気を描き出すと
 冬の日の、暖炉のあたたかき色を他パートは彩色してゆく。
 
  現実には“何も起こらない”情景のなか、
 抑えられた、内なる心の熱いドラマが、
 ・・・聴いているものの中から湧き上がってくる。
  その恋の想いの質感と、密度。
  男声合唱でしか、いや「なにわコラリアーズ」でしか
 決して味わえない世界。
 
  最後の
  “ 遠き遠き漏電と夜の月光 ”の旋律は、
 明滅する遠い記憶を想うような歌い手たちの表情とともに
 私の心にしっかりと刻み込まれた。
 
 

  伊東さんは
 
  「言葉は人が持つそれぞれの痛みに
   そっと手を当ててくれるかのようである。」

  ・・・と書かれていたが。


  この演奏も、白秋の詩句とおなじように私へ
  “そっと手を当てて”…くれた。 




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