演奏会感想の部屋

 

    
 なにわコラリアーズ第13回演奏会


 2007年 5月4日(金) 開演15:00〜

 今年のなにわコラリアーズ演奏会は京都!
 晴天の下、在来線でゆっくり向かい、
平安神宮(これは非常に良い場所でした。お勧めします)で
新緑を楽しんだ後は会場の京都コンサートホール大ホールへ。

 サントリーホールのように舞台後ろにもP席と呼ばれる客席があり、
パイプオルガンも設置されている豪華な印象のホール。
 1833席の客席は8割ほど埋まり(来場数1369名だって!)、
さすがの集客数。

 オンステージ約67人。
 いつものように3部構成のステージ。
 指揮はすべて伊東恵司さん。

 第1ステージは「V.Tormisの合唱曲」として
 「Nagemus Eestist(エストニアの未来)」
 「Kokko lenti koillisesta(北東から鷲が舞った)」
 「Varjele,Jumala,soasta(神よ、戦いより守りたまえ)」
の3曲。

 「エストニアの未来」はなにコラの演奏で何度も聴いている曲。
 今回はベースの人数が少なめだったのだろうか?
 低音域、短い旋律の繰り返しが効果を上げるトルミスの作品では
音と旋律が痩せていて、いまひとつ伝わって来ない。
 これは3曲目にも思ったこと。

 ただ、このホールの特性として、
残響はしっかりあるが、
音そのものは客席へまっすぐ素直に伝わりすぎ、
言うならば“化粧のされていない音”という印象だったので
ベース系のふくらみの無さはそのせいもあったのかもしれない。

 テンションが抑え目だった分、
各パートの横のラインが長く繋がるような演奏。

 このステージで1番良かったのは2曲目の
 「北東から鷲が舞った」
 エストニア:カレリア地方の結婚式での
民謡が題材になっているこの曲は
なにコラが誇る名テナーの軽やかな歌から
各所にハーモニーを加える。
 
 「民族叙事詩カレワラの伝統歌唱法
 (フレーズの末尾を引き継ぎ、代わる代わる歌う)を用い、
 互いが呼び交わされる効果を生んでいる」
 (プログラムから)

 ハーモニーのロングトーンの上に、うつろう旋律。
 こういう良い意味での軽さが出せるのは
さすが、なにコラの持ち味。いいなあ。

 3曲目の「神よ、戦いより守りたまえ」
銅鑼(奏者:関口百合子さん)が使われ。
 戦争への恐怖を題材にしたこの曲、
合唱全体に響き、
不安を高めていく銅鑼の音が興味深かった。




 第2ステージは多田武彦作曲の「雪と花火」全4曲。
 4年前になにコラが演奏した「東京景物詩」と同じ北原白秋の詩。

 このステージは・・・素晴らしい!

 「片恋」のはじまり

 あかしやの金と赤とがちるぞえな

 ファルセットを交えたテナーの歌は
まるで名女形の美しい立ち姿!
 女性ではない存在が女性を表現することにより、
“女らしさ”が強く表出されるように。実に色っぽい。
 
 夕陽の光に散るアカシアの花々。
 “金”“赤”と歌われる言葉は、まさにその色が輝くよう。

 詩では2行ごとの、音楽・雰囲気の変化の鮮やかさ。
 低音域の主旋律に乗る空気のように軽いテナーの素晴らしさ。

 男気が出たベースと呼び交わされるテナーの旋律が
夕暮れに浮かび上がる男女二人の情景のごとく。
 吐息とともに、恋の空気に満ちた名演奏。

 「彼岸花」は軽やかに、しかし充実した和音で。
 流れの中に言葉、リズムをしっかり立たせる技術の高さよ!

 「芥子の葉」はこの速いテンポで
和音の細やかな変化はちょっと難しいかな・・・。
 低音域の太い旋律に
 わたしはわたし 芥子は芥子… と
柔らかく声を変えるテナーの対比が良く。

 そして最終曲「花火」

 花火があがる
 銀と緑の孔雀玉……
 パッとしだれてちりかかる


 隅田川、両国橋に掛かる花火を描いた詩は
かすかに江戸情緒もにじませ。

 花火が消ゆる

 空白の後、
 薄紫の孔雀玉
 …とベースの歌い出しの巧さ。
 
 そして花火の擬音であろう

 Toron……Tonton……Toron……

 歌とともに各パートで上げられるこの擬音。
 その立体感、目を閉じると
花火の光と情景が醸し出されるようなその世界。

 ここでプログラムから伊東さんの文章を抜き出そう。

 「…銀と緑に散る孔雀玉、しとしと落ちる涙、
 …終曲の花火は男女の情愛の極みであるとともに、
 まるで手を伸ばしても手に入れられない遠い夢の日の象徴のようです。」

 “遠い夢の日の象徴”とされる、一瞬の儚い花火。
 過去へ、想いが向かう、その人へ歌うように。

 ベースの主旋律にそっと触れ、そして離れゆくような
何度も歌われる

 花火があがる

 そのテナー旋律の切なさ。


 団扇片手のうしろつき

 夏の帽子にちりかかる


 今ここには無い、遠いその人の姿が歌われ、昂ぶっていく心。
 ユニゾンで強く始まる

 アイスクリームひえびえと
 ふくむ手つきにちりかかる
 わかいこころの孔雀玉


 そして大音量で歌われる一瞬の激情

 ええなんとせう


 …その心の奔流を呑み込み


 消えかかる

 ・・・ゆっくりと。
 遠い日の花火と、
消えゆくかの人に手を伸ばすようしずかに歌われるふたたびの



 消えかかる 



 …という旋律、言葉の美しさ、かなしさ。


 「白秋の詩歌は綺麗ごとや絵空ごとではなく、
 生きていくことの苦悩や哀歓に溢れ、
 血や涙のような強い叙情が滲んでいるのでしょう。」
 (伊東さんの文章から)


 聴き終わり、数日経っても
 「アイスクリーム…」からの旋律が
耳の底から甦るような名演奏。

 今ここに無いものへ向かっていく心が
“歌”のひとつの在り方とするならば、
白秋の詩、そしてその詩を歌うなにコラメンバー。
 その歌を聴く聴衆・・・と、
三者、それぞれの想いが
見事にこの歌で重なったような素晴らしいステージだった。




 (その2へ続きます)




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