演奏会感想の部屋 |
合唱団MIWO東京公演 会場の「第一生命ホール」は 東京墨田区の「勝どき」駅から動く歩道などを使って数分の 「トリトンスクエア」というショッピングモールや飲食店などが 入っている複合施設の中にある。 足を運ぶのは東京カンタートや「風の歌」演奏会以来。 CANTUS ANIMAEのお姉さま方と昼食の後、 開場の1時間前に足を運ぶも、 ・・・ホールへのエスカレーター入り口の扉は閉ざされていて、 並んでいる人は誰もいない。 「1番乗り、ってなんだか非常に“合唱オタク”っぽいから 私はもう一回りしてきますよ」…とお姉さま方に告げる。 「アンタが“合唱オタク”じゃないなら 私たちは何なのよ!!」…という声を背に受け。 トリトンスクエア内を歩きながら思い返せば MIWOとの関わり合いはけっこう長い。 このHPを開く前の1999年にはもう演奏会を聴いていた気がする。 ずっと札幌にいて合唱活動を続けていた私が 名古屋に来て初めてMIWOを聴き 「はぁ〜。さっすが内地にはなまらすげえ合唱団があるもんだべや!!」 (すいません北海道弁忘れました) MIWOレヴェルの合唱団が全国にはゴロゴロしているのか?! と驚いたのだが。 5年たって日本のあちこちに行って思うことは。 ・・・そんなことはないのですね、やっぱり。 そういう意味で、過去も、そしていまも、MIWOという存在は私の中で 「オンリーワン」…な存在なのだ。 MIWOの演奏は、岐阜のサラマンカホール、大垣市のスイトピアセンター、 名古屋のしらかわホールで演奏を聴いてきた。 本当に「イナカ」の駅(失礼!)、という感じの西岐阜駅でひとり降り、 こわごわバス停を探し、ふれあいバスに乗り、 「…いったいどこへ連れていかれるんだろう・・・」と 不安な気持ちで初めてサラマンカホールへ向かった日のことを懐かしく思い出す。 コダーイのミサで合唱を聴いて初めて涙がこぼれた時。 打ち上げで聴いたバッハの「Singet dern Herrn ein neues lied」で 体を揺らし、踊るMIWOのみなさんに人生初の「ブラボー!」を捧げた時。 この上なくロマンチックなクリスマス・キャロル集のステージに 「はあ〜〜…」と目を潤ませ(…気持ち悪いな) しかし隣が管理人yoshiだったので我に返った時のこと・・・。 今回は初の東京公演、ということで、 私が現在住んでいる岡山からは逆に遠くなってしまうのだけど 「ファンとして、これは行かねば!!」…と思ったのだ。 15分ほどトリトン内を一回りした後、戻ると10人ほどの人が並んでいて。 「熱心な人がいるものだねえ〜〜」と思っていると後から後から。 どんどん人が並んできて、近くの飲食店の前まで人が並び、 ついには予定の時間前で開場することに。 立ち見を許さないホールなので、この日は当日券も販売せず、 前売りの券も早々に販売を止め、会場に入れない人も多くいたそうだ。 2004年 8月1日 第一生命ホール 13:30 開場 14:00 開演 合計767席のホールは1階席の前に空席を100ほど残す感じで “ ぎっしり ” な印象。 シロートなので(…やや高所恐怖症気味なので)1階席後方に座る。 後から聴いたところ、このホールは2階席の方が良い!…そうで。 そんなこと言われてもなあ〜。 第一ステージは J.S.バッハ:モテット「来たれ、イエスよ、来たれ」 komm,Jesu,komm(BWV229) 「主に向かいて歌え新しき歌を」 Singet dem Herrn ein neues Lied(BWV225) 指揮は大谷研二先生、 そして今回はチェロに西澤央子さん、 ポジティブオルガンに能登伊津子さん。 MIWO団員、最初の一人の入場から拍手が始まる。 女声19名、男声16名。2重合唱になって。 音を待ち望む張りつめた空気の中、 研ぎすまされた「komm!」が鳴り響くと、「来て良かった!!」 いつも聴いているサラマンカホールよりは音の鳴りが抑えめに、 枯れた音色がMIWOに加わる印象。 「来たれ、イエスよ、来たれ」は全体をなめらかに流す安定感と引き替えに、 各部のテンションをそれほど上げ下げせず、 やや弛緩したようなものも感じられたが、充分に高度な演奏。 「主に向かいて歌え新しき歌を」は 最初の「Singet」がオルガンの響きとともに明るく、軽く、輝く。 旋律がしなやか、そして自在だ。 メリスマが「メリスマ」という言葉の窮屈な枠に収まらず自由だ。 録音でも、そして生演奏でも、MIWOの演奏を何回も聴いているこの曲。 大谷先生の過去の指揮では、 生、そして喜びが前面に出て主張している印象だったのだが、 今回の演奏では喜びと同時に影も感じさせる。 表現を一歩引いて見るような視点がある。 喜びと悲しみが等分に存在し、同時に、そして交互にめまぐるしく立ち現れる。 光へ向かって霧を吹いた時に現れる一瞬の虹のよう。 赤があり、青がある。同時に紫がある。さらにその中間色がゆらぎ、炎える。 そしてその色の表現は決して留まらず、瞬時にその姿を変え疾走していく。 耳をすますと、さまざまな声部のさまざまな音が聞こえてくる。 ソプラノに響きを支配されず、テノールもアルトもそしてベースも。 耳に等しく、2重合唱というだけではなくステージ上から立体的に聞こえてくる。 さらに声が合わさった、倍音をよく含む和音の響き。 細部まで磨き込まれた表現の後、 いつもとは違い長めの休止を取り、 オルガンと一緒に柔らかく第2部コラールの 「Wie sich ein Vat'r erbarmet…」が流れた時
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