演奏会感想の部屋

 

 
<コロ・フェスタについて>

1998年5月に行なわれた、東京カンタート'98のオープニングセレモニーに
おいて、作曲家三善晃氏がこれからの日本の合唱に対する課題・問題点を
いくつか述べられました。

その中に一つに、アマチュア合唱団における志向性が「技術的にも上手く
うたう」ことを第一にしている合唱団と、「一緒にうたうことを楽しむ」ことを
第一にしている合唱団の2種類に分離している、という指摘がありました。
また、大学・一般・職場というコンクール等での分け方、あるいはおかあさん
コーラスやシルバーコーラスという言い方に音楽的な意味があるのか、という
指摘もありました。(ハーモニーNo.97にこのスピーチが載っています。)

確かに、目標の違いだけで、合唱という共通点を忘れてお互いにまったく違う
文化活動と捉えたり、同じ"合唱"という音楽に触れているにもかかわらず、技術的な
差や年齢などで、クラシックとジャズという音楽のジャンルを分けるかのように、
一般とおかあさんというように区分けしてしまうことが今日では当たり前になって
いるのかもしれません。

そこで、普段「技術的にも上手にうたう」ことを目指している合唱団も、「一緒にうたう
ことを楽しむ」合唱団も、おかあさんコーラスと思っている合唱団も、ともかく
“合唱”という共通の楽しみを知っている人たちが集まって一つの演奏会を開こう
という主旨のもとに開催されたのがコロ・フェスタです。


 「コロ・フェスタ2001 神戸」より



  コロ・フェスタ2003 IN 大杜 


 2003年 10/12(日)の昼に島根は出雲市駅に到着。
 島根県を訪れるのは初めて。
 この調子で行くといつか合唱関係で
各都道府県をすべて訪れることになっても不思議じゃないな…。
 ・・・初めて見る宍道湖はきれいでした。

 前日には三善晃先生による自作品の講習会、
出雲大社での奉納コンサート、などが行われたそうだ。
 (話によると、その夜のレセプションでの各団の“出し物”が
  たいそう面白かったそうな。
  「『るふらん』って芸達者ねぇ〜」…だって!)

 狭い道を暴走するバスに30分ほど揺られ、
 「大社文化プレイス うらら館」に。
 
 今日のメインコンサートは
 ◇縁結の樹 〜合唱団同士のジョイント演奏〜
 ◇出会いの樹 〜合唱指揮者による公開レッスン〜
 ◇発信の樹 〜各合唱団レパートリーや新しい合唱作品の紹介〜
 ◇音楽の樹 〜三善晃合唱講習会受講団体による演奏〜


 …の4つに分かれるものとなっている。
 残念ながら最初の「縁結の樹」での
 「出雲地方中学校合唱部合同」の「唱歌の四季」は聴けなく。
 (…また道に迷ったなんて口が裂けても言えない…)


 ◇縁結の樹

 「コールアイリス(北海道)」「女声合唱団 彩(東京)」
 「松本女声アンサンブル AZ(長野)」
 「うつのみやレディースシンガーズ 晶(栃木)」合同

 指揮:栗山文昭氏、ピアノ:須永真美さんの
 池辺晋一郎作曲「この世界のぜんぶ」を途中から。

 合同合唱とは思えないほど統一感のある響きで。
 (栗友会の合唱団が4分の3だとしても)
 池澤夏樹氏の洒落た言葉と、池辺氏の作曲技法が
うまく軽妙にからみあい、とても楽しい演奏。

 特に「象」で、狂言の表現がオモシロかった。
 合唱団の表現も多彩で、
フォルテでも耳を圧迫しない爽やかな音質。



 ◇出会いの樹 


 続いて「出会いの樹 〜合唱指揮者による公開レッスン〜」
 これは「合唱団 響」と、栗山文昭氏が楽曲の講習をしながら
演奏をする、といったスタイル。

 「私が音楽で大事にしたいものは“リアリティ”。
  たとえば菜の花を歌うとき、
  何も思わないで歌う、というのではなく
  心に菜の花を描いてから歌う、ということ。

  それによって表現にリアリティが生じると思うのです」

 ・・・という栗山氏の言葉から
 まず「アンサンブル モンテッチ」(女声7名)による
モンテヴェルディのマドリガル
「Pario Miser,o Tacci」(言うべきか 言わざるべきか)

 マドリガルは言葉を音によっていかに表すか、
という目的で作曲されたことから。
 「(愛が届かない?)冷たさ」がどんな表現で成り立っているか、と
部分を取り出し演奏してもらった後、1曲を通して演奏。

 そして「合唱団 響(男声20人 女声27人)」の演奏。
池辺晋一郎作曲「わたしの心臓」
(古代エジプト恋愛詩集による5つのマドリガルから)

 文句なくウマイ! 表現の細かい部分にまで気を配った精緻な演奏。
 フォルテでも耳にウルサクないこの声は本当にどうやって作るんだろう?

 やはり、この曲も部分を取り出し、
言葉と音のつながりの面白さを説明した後、一曲を通す。

 メンデルスゾーンの「Ave Maria」
 メンデルスゾーンはバッハに多大な影響を受けた、ということで
バッハ的なバロック調のピアノの旋律をまず聴かせ、
それに男声の切ない旋律が加わる妙味を披露。

 続いて竹内浩三:詞 新実徳英:作曲
 「骨のうたう」

 23歳の若さで1945年にルソン島で戦死した詩人の
戦争で死ぬというあわれ、そして故国へ帰ってきたその骨に
眼を向けることのない人々をうたった詩。

 栗山氏は最近、栗友会の学生とそれに近い年代の約100名で
東欧へ演奏旅行をしたそうで。
 そこでポーランドのアウシュビッツ強制収容所を訪れたことを語る。

 「この“骨のうたう”の最初の無声音を聴くと、
  私はどうしても訪れたアウシュビッツの荒野を思い出すのです。

  『アンネの日記』のアンネ・フランクがナチスに捕まり、
  アウシュビッツに送られるまでの道のりを実際に体験して、
  本当に『アンネの日記』の世界を理解した気になりました。  

  この曲を聴いたデーネッシュ・サボー(女声合唱団プロムジカ指揮者)は
  大変なショックを受け、
  『この曲の冒頭は世界の“時を刻む音”だ』…と。

  『骨のうたう』は日本語で書かれているけれども、
  しかしこの作品にはサボーが衝撃を受けたように
  昨日、三善先生が語られた
  『言葉を超えた言葉』が存在すると思います」


 ホッ、ハッ、ホッ、ハッ・・・といったかすかな、
しかし濃密な緊張感を持つ無声音が発せられると。
 先ほどまで演奏中でもおしゃべりに忙しかった
女子中学生たちの口がピタリ、と閉じる。

 会場の温度が急に数度下がったような寒気を覚え、圧倒される。
 “凄まじい”曲、そして演奏。
 アウシュビッツの荒野に吹く風が私にも見えた気が。
 これ、本当に昨年「だかあぽコンサート」で聴いた曲?

 ただ、ここまで精神を追いつめられ、圧倒された上で
個人的に惜しいな、と思ったのは。
 たとえば最初の無声音の表現は
いわゆる“フツウの”合唱表現から離れているのだが、
それが「響」の高い演奏技術によって見事に表現されている。

 他にもかなり難易度が高い箇所も、その演奏技術によって
すばらしい完成度をもって演奏されている。

 しかし詩人:竹内浩三の“叫び”を表現しようと作られたこの曲で、
どうしてもその「叫び」と「高い技術」が
分離しているような印象を持ってしまった。

 表情は迫真のものだが、その眼は醒めている。

 どんな感情でもそれを第三者に伝えるにはなんらかの「技術」が必要。
 おそらく響以外に、この曲の叫びを
ここまで表現できる技術を持つ団体は数少ないに違いない。
 だが、わずかな部分で、その感情から離れた「技術」を意識してしまった。

 もちろん、これは寒気に震え、席に押しつけられた私からの
「響」への期待から来るもの。
 再演する時は必ずや、そんな「技術」など
みじんも意識させることもない演奏をしてくれると信じています。

 本当に凄い演奏でした。ぜひとも多くの人に聴いて欲しいものです。



 ここで団員さんが着替えのためにいったん退場。
 最初に司会をされていた藤井宏樹先生と栗山先生の場つなぎ(?)トーク。

 栗山先生が藤井先生、実はオーディオマニア、
ということを明らかにして
「そもそもなぜオーディオに凝るようになったの?」と訊くと。

 「オーディオ、というのはスピーカーとアンプとプレイヤー、
  そしてそれをつなぐ線で成り立っていて。
  この線をちょっと変えただけで音が変わるんですね。
  その面白さ、というのがありまして。
  ・・・音楽より先にオーディオに夢中になったぐらいで(笑)」

 それを受けて栗山先生
 「私も実は藤井さんの紹介で
  中古品だけど素晴らしいオーディオを買わせてもらって。

  もうひとり、有名な人にも最近オーディオ、教えてあげたんだよね。
  これはナイショなんですけど、私が仲人したヤツで。

  ・・・なんて名前だっけ?」

 藤井先生、笑って答えます。


 「松下耕」



 オーディオで何を聴くか、ということで藤井先生は
 「私はもっぱらジャズですね」
 「…なんだ、クラシックじゃなくて、ジャズを聴くのか〜」
 「そういう栗山先生は?」
 「・・・実は私もジャズで(笑)。
 ビリー・ホリディなんかの古いジャズを聴いてますねぇ」

 とかなんとか話しているうちに
色とりどりのパステルカラーのシャツに着替えた団員さんが入場。


 Top of the world
 Yesterday once more
 Sing

 (編曲:南安雄)

 2003年の響の演奏会でバンド付きで初演したという話を聞いて
ぜひとも聴きたかったカーペンターズの編曲!
(今回は斎木ユリさんのピアノで)

 「♪Such a feelin’s comin’ over me〜♪
 おおっ、これはいいなあ〜!
 超絶難易度ではなく、それでいて原曲の良さと
合唱の良さがよく出ているアレンジ。
 各パートにもオイシイ旋律が散りばめられていて。
 ポップスの合唱編曲を聴いて久しぶりに
 「自分でも歌ってみたい!」…と思ってしまった。

 演奏も、もちろん細やかなリズム、センス良く流れる旋律、と
素晴らしいもの。

 ちょっと響きが分厚くなりすぎかな…と思うこともあったけど、
これは私の好みでしょうね。
 (一般に合唱人は“ハモる”のが大好きで。
  とにかく和音を重ねよう、とする傾向があると思うのだけど。
  ポップスの演奏ではその“ハモ”りぐせが、
  もったりした音楽の印象につながってしまうかな、と)

 特に「Sing」が「やっぱり良い曲だなあ」、としみじみ感じて。
 この演奏を聴いて以来、
ついつい職場でも「Sing」を口ずさんでしまい、アヤしまれる私です(笑)。

 あと、この3曲には「ダンス」の演出付きで。
 響の団員さんが一生懸命踊っている姿を見て
つい自分がステージで踊っている姿を想像してしまい。
 ・・・やや、「いたたまれない」気分に・・・。

 まあ、でも、演奏前に栗山先生が仰ったように
 「ダンスにもいろいろありまして。
  ひとつはその優れた踊りを見て感動する、というもの。
  もうひとつは、あれはヘンだ、オカシイ!…と
 “できていない”部分を見つけて楽しむダンス、があるわけで(笑)」

 私もさすがにそのオコトバはあんまりだ、と思ったけど(笑)。
 でも、明るい笑顔で、思い切りよく踊る姿は・・・
・・・なんだか許せてしまうものだなあ、と。


 響のみなさん、お疲れさまでした!



                            『コロ・フェスタ その2』へ続く



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