演奏会感想の部屋

 



クール・シェンヌ第9回演奏会感想 



 2007.5.20(日) 14:00開演
 奈良:さざんかホールにて。



 4年ぶりに聴くクール・シェンヌ演奏会。
 MODOKI指揮者:山本さんも行かれる、ということで
「一緒に行かない?」という親切な申し出に感謝し、
山本さんの車で高松から奈良へ。

 車中、山本さんが指揮した「方舟」から数曲を聴き
予習もバッチリ。
 「オレ、『木馬』が一番好きなんや」
 「それは・・・珍しいですね」 などと。

 奈良県大和高田市にあるさざんかホール
すぐ近くに商店街があるロケーション。
 ホール前でフリーマーケットをやっている晴れた日曜の午後。

 ホールは2階までの階段を上がれないようにしており、
1階766席に7割ぐらいの観客数。
 前の席に小学校低学年の女の子が入ってきて
4年前のシェンヌ演奏会の悪夢が甦るが。
 ・・・おとなしく聴いてくれるイイコでした。

 この日は携帯が一回鳴ったぐらいで
総じて観客のマナーは素晴らしく、
集中して聞いている雰囲気。良かったー!

 女声17名・男声13名。
 指揮はすべて上西一郎先生。

 第1ステージ
 Valde honorandus est (G.P.da Palestrina)
 Salve Regina (Pierre Villette)
 Ave Maria (Vytautas Miskinis)
 Recordare, domine (Ildebrando Pizzetti)


 今年の全日本の課題曲でもあるパレストリーナ。
 テノールの純粋なイメージで始まった音楽。
 それぞれのパートが精妙に絡み合い、
そして4声が重なった瞬間の輝かしさ。
 「これだよ! シェンヌの魅力は!!」と唸る。
 どのパートが飛び出る、と言うのでもない
絶妙のパートバランス。

 清潔さと叙情を併せ持った演奏は、
今時点で全国大会の演奏としても、かなりの完成度。


 続いてのヴィレットは始まりの良くブレンドされた響きが
やはり素晴らしく。
 ソプラノの優しい語りと背景となるヴォカリーズの合唱。

 シェンヌの混声合唱としての響きの良さは
一度聴いた方には分かってもらえると思うが。
 さらに魅力を語るなら、
ほとんどの「響きの良い合唱団」では
いわゆるブレンドされた響きは
あるワンパターンな表現に陥っているのに対し
シェンヌの響きは優しさが基調にあるものの
曲の違い、音楽の違いによって、
そのハーモニーから受ける印象が明らかに違う。
 このヴィレットでは、つつましさと同時に
気高さ、誇り、そんなものまで感じさせる響き。


 ミシュキニスは音楽へ軽いリズムを加え。
 しかし、決して表現と響きは痩せず、
豊潤な音を常に保っていく。

 「Sancta…」からは静寂と同時に荘厳な印象までをも。
 その美しさに切なくなるほどの演奏だった。

 第1ステージのこの3曲は
この演奏会で一番印象に残った、かつ完成度の高い
シェンヌの魅力が充分に溢れた演奏。


 団長さんの挨拶を挟み、演奏されたピツェッテイは
緊張を漲らせた各パートの音楽で進んでいくが、
それぞれのパートの音量、表現力の違いか、
やや音楽がスムーズに進まないような。
 しかし全パート揃った響きはやはり素晴らしかった。




 15分の休憩後、第2ステージ。
 Zwei Motetten Op.74 (Johannes Brahms)
 (2つのモテット 作品74)

 かなり前に私も歌ったことのある、ブラームスの名曲。

 はじまりの「Warum」から実に練られた
素晴らしい響きが広がっていく。

 演奏後の打ち上げにて指揮の上西先生へ
 練習ではやっぱり響きを大事にするんですか?
 そう尋ねると

 「もちろん!
  結局合唱の美しさは例えば“Warum”と鳴った時に
  いかに美しい響きがするか、
  観客の耳を捉えるか、だと思うんだよね」…と。

 上西先生のその言葉通り、一瞬にして聴く者の耳を捉える響き。

 アルトの声にやや乾いたものを感じたが
柔らかなフレーズの展開、
そして良くブレンドされた響きが醸し出す
ブラームスの奥深さ。


 …ただ・・・非常に恥ずかしい告白をここで・・・。

 私、オチました。

 すいません! 途中で眠ってしまいました!!

 後半のコラールで目が覚め、いかんいかん、と
2曲目を気合入れて聴き始め、
ホモフォニックに歌う力強さに惹きつけら、れ・・・(暗転)
・・・最後で目を覚ます、という情けない有様。

 うーん、こんなことは滅多にないんだけどなあ。
 食事をしてそんなに時間が経ってない、というのもあるけど
他の演奏会でもそんなのはザラだし、
睡眠不足ということも無い。
 さらに、以前歌った曲ということで興味も増していたのだ。
 それなのに、なんで眠っちゃうかなあ・・・。


 言い訳見苦しいよオマエ、ちゃんと反省しろ、と叱られそうですが。
 (いや、もちろん反省はしてますが)

 なぜ聴いているうちに眠気が沸いて来たか、と考えるに。

 まず、非常に柔らかく美しい、充足した響きが
“常に” “ずっと” 続いている、ということがあるかもしれない。

 「美しさ」というのは刺激でもあるわけだが、
変化しないことに人間は耐えられないのと同じことで、
最初は刺激であった同じ「美しさ」が、ずっと続くことで
刺激が刺激にならなくなっているのでは。

 刺激、ということに関してシェンヌのこの演奏は
あるフレーズを起点にして、
文字通り“ヤマ”へ向かって上っていく、
高まっていく、という印象の演奏ではなく、
同じステージの上で水平移動、とでもいうか。
 ・・・振り子が、みぎ〜ひだり〜、みたいな演奏なのである。
 それはまるでベタな催眠術のような。

 さらに言うならば、響きが充足した時点で
歌い手が満足してしまい、
その分観客へ伝えるという意識が少なくなっているのかもしれない。


 もちろん、その美しさをずっと「刺激」として
眠ってしまうどころではなく、
最後まで集中して聴いたお客さんはいっぱいいるだろうし、
眠ってしまったことは間違いなく私の責任です。
 申し訳ありませんでした!




 15分の休憩後、第3ステージ
 混声合唱組曲「方舟」(木下 牧子)
 ピアノは河野有子さん。

 ソプラノもそうだが、テノールの表情の美しさが
大岡信の詩の世界を繊細に現す。

 「水底吹笛」では

 ゆきなずむみずにゆれるはきんぎょぐさ

 やよいのそらの かなしさ あおさ

 …などの印象的な言葉が心に染み込んでいく。

 「夏のおもひに」では後半、
無伴奏で歌われる 
 このゆふべ海辺の岩に身をもたれ から
夕暮れの海辺の情景が瞬時に広がるような響きの素晴らしさ。

 「方舟」でのはじまりのヴォカリーズが
かつて無かった洗練された美しさ、など。

 難曲に対し、良く健闘されていたと思う。

 アンコールは同じく木下作品の「鴎」
 そして「夢みたものは…」



 (その2へ続きます)




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