演奏会感想の部屋

 

 Brilliant Harmony第14回定期演奏会感想


 第1部、Delibesの「Les nymphes des bois」を聴いた時
記憶の中の、ある風景が重なった。

 あれはいまぐらいの時期だったろうか。


 2003 5/24 18:00〜

 <第1部>


 600席の川口リリアが9割以上埋まる客席。
 中ほど、右側に席を取ると
ドレスの色は群青のメンバーが入場。25人。(プログラム上)
 黒タキシードの松下耕先生も登場し、2曲続けて。

 Cantate Domino(主に向かいて歌え)
 /Giovanni Croce
 Pueri,Concinite(子らよ、ともに歌え)
 /Jacobus Gallus

 
 最初から、はじけるような、きらめく明るい音が会場に響く!
 クローチェのなめらかな旋律とそれを収める和音の美しさ。
 強い声だけではなく、軽い声もステージには留まらず
ホールの上まで響きが立ち昇るのを感じる。

 ガルスの演奏も、その美しい流れに身をまかせるのみ。
 オクターブなどの優れた音程感に、はっ、とさせられ。

 明るく楽しいスタート。加えてやわらかい空気があって。
 この時点でもう、
  「ああ! ほんっとう〜に来て良かった!!」と心底思う(笑)。

 松下先生ここでマイクを取り、ピアニストの谷あや先生を紹介。
 そして
 「昨年は29曲も演奏して多すぎましたので
  今年は減らしました! 28曲に!

 1曲だけ?!


 Laudate Pueri(賛美せよ、神の子ら)
 Felix Mendelssohn Bartholdy


 調が変わるときにすべての色彩もざっ、と変わるような、ね…。
 かすかな愁いが、微笑みに移るような旋律にも聴き惚れる。
 この曲で加わったピアノも華やかで。

 ああ、いまメモを読み返してみると
 こまごま書いている感想の上に
「もう いいや」との文字が大きく重ねてあって。

 ・・・ブリリの感想ってホントに書きにくい。
 私には「真ん中」の女声合唱、というのは昨年の感想でも書いたけど。
 ここが過剰、ここが足りない、というものがブリリには無くて。
 胸の真ん中に飛び込んだ音は、
自分では見ることができない、だから書き記すことができない、ような。
 
 いつまでもひたっていたい音楽を聴いていると。
 昔の笑いあったときの思い出や
美しい風景たちがいくつもいくつも
自分の裡から湧き上がってくるような気がして。


 次は20世紀の作品を3つ連続。

 Ave verum corpus(ほむべし、まことの御体)
 /Francis Poulenc
 A150.Genfi Zsoltar(ジュネーヴ詩篇第150番)
 /Zoltan Kodaly
 Parnas Tancdal(枕踊りの歌)
 /Bela Bartok


 ビロードのような声。その手触りのような旋律。
 ホモフォニックの部分で会場にあふれ出す響きのプーランク。

 倍音の豊かさ!ダイナミクスの振幅の広さに心奪われるコダーイ。

 ことばあそびのコトバを口で回しているうちに
そのまま自然と旋律となり歌になっていくようなバルトーク。 


 再び松下先生トーク。

 プログラムにも書かれているが、今年からブリリは
バレエの先生に学ぶようになったとか。
 身体の使い方や表現力を学ぶため、だそうで。
 プログラム終わりの「バレエ指導:鴻巣彰子先生」は
ミスプリントでは無い、とのこと(笑)。

 そういや3月に練習見学させてもらった時も
最初の柔軟体操でバレエっぽいことやってたなあ〜。

 ここでその松下先生の文章を抜粋してみよう。
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 (前略)
 身体を動かす。 汗をかく。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 理屈
ぬきに清々しい、 さわやかな気分になる、 この
単純で素敵な感覚は、合唱活動ではあまり体験
できないものです。そして、この体験は、より
開放された自由な心と身体で、より多様な表現を
具現できるようにするためにあるのです。
 合唱とバレエ、ともに芸術の範疇にあるけれど、
“聴かせるもの” と “見せるもの” という、
一見何ら関係のなさそうなこの2つの分野が、
踏み込んでみるとどんどん共通点が見えてくる。
この『新しい発見』に、私たちは喜びを見出して
いるのです。そして、合唱を、今までと違った視点で
見ることができるようになってくることもまた、
私たちの大きな喜びといえましょう。
 (後略) 
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 2002年、合唱指揮者:栗山文昭先生の還暦を祝う
 「だかあぽコンサート」へ行って、いちばん感じたのは
“他分野とのコラボレーションの可能性”だった。
 栗山先生率いる栗友会は、
「合唱劇」というものを盛んにやっているため、
もちろんその他分野は「演劇」というものなのだが。

 演劇、という他分野の芸術を経験することによって
ステージ上での動き、見せ方がどんなに魅力的になるか。
 そして「合唱」というそのものも、
演劇という他分野からの視点を持つことによって、
意識的に変わることができる。

 ・・・そんなことを強く感じていたのだが。
 同時に、じゃあ他の合唱指揮者はどうするんだろう?
とも考えていた。
 「コラボレーション? 必要ないよ!」と
純粋に合唱だけの世界を深めようとするのか。
 他芸術とのコラボレーションの価値を認めるなら、
栗友会のように演劇を取り入れることも当然考えるだろう。
 しかしそれは栗友会と同じ道を進む、ということで。
 「創造者」としての合唱指揮者を選んだ人には
耐え難い人もいるかもしれない。

 もちろん私が「合唱劇」というものは
栗友会だけでやりつくされてしまうほど狭く浅いものだ、
などと思っているわけではない、ということを加えておく。
(合唱劇においての栗友会の重要性はもちろん認識の上)


 では、合唱に有効な「演劇」以外の「他の芸術」はなんだろう?

  Brilliant Harmonyの場合、
それが「バレエ」、ということなのだろうか。


 4曲連続して。
 Noel des enfants qui n'ont plus de maisons
 (もう家のない子供達のクリスマス)/Claude Debussy
 Chi d'amor sente(愛を抱くものよ)
 /Zoltan Kodaly
 O,havas erdo nemasaga(雪の森の静寂よ)
 /Miklos Kocsar
 Les nymphes des bois(森の妖精)
 /Leo Delibes


 ドビュッシーは、フランス語のこんなに速い言葉の連なりを
見事に旋律へ乗せる。
 そしてそのスピード感とクレッシェンドのイメージが
「目の前に迫るよう」!
 アクセルを効かせる、ゆるやかにブレーキを踏んでいく…。
 そんなイメージが、身体の動きとなめらかに一体化している印象だ。

 昨年コンクールでの課題曲:コダーイの演奏は、やっぱりもう脱帽。

 松下先生が10年ほど前に初めて聴き
 「なんて美しい曲なんだ!」
 …そう感じたというコチャールはソロも素晴らしく、
バランスの取れた合唱との重なり、
各箇所で“決め”のハーモニーの震える響き。
 ・・・私も、カンテムスのCDで
初めてこの曲を聴いた時の感動を思い出しました。

 ドリーブはピアノの前奏、そして声が入ると、
一瞬にして世界が広がるイメージ。
 力感・重心の、流れに乗ったバランス移動に目を見張る。
 そんな優美なバレエ音楽で第1部の演奏は夢のように終了。


 
 <第2部>

 休憩後、今度は黒のパンツルック、
色とりどりのストールを巻いた団員さんが入場。

 第2部は「松下耕作品を集めて」というサブタイトル。
 最初の7曲は「合唱のためのエチュード」から。
 現在98曲作曲されているものから最近の作品を、ということ。

 ソリストのコミカルな名演技と最後の「おしまい!」が楽しい「おしろ」

 沖縄・子守歌の雰囲気がやさしく広がる「いった一父や」

 「ぱ行」の言葉遊び、声の演技が巧みな「かっぱとさんぺい」

 小鳥の鳴き声のような軽やかな旋律が愛らしい「ことりがなくよ」

 曲中にあふれる「Pi!」のリズムがオカシイ「ピーマン」

 メンバーが個々にしゃべって動いて広がってビックリ、の「心」

 短いフレーズをヴォカリーゼ、歌で叙情ゆたかに演奏した「痛い」

 さまざまなスタイルを持つこの「エチュード」。
 曲によって声を変える、だけではなく、
その様式に合わせ、自分たちの身体と周囲の空気をも変えてしまうような。


 そして2曲。
 「どけ・どけ・どけ・どけ・どこ?」のリズムと明るい旋律が
輝く夏を表現する「蟻の夏」(女声合唱のための組曲『あいたくて』より)

 中学生のために作曲されたという「鳥」
ヴォカリーゼの美しさとあたたかい詩のメロディが印象的。


 ここで団員さん着替えのために、いったん退場。
 松下先生が場つなぎ(?)のため、マイクを取り

 「昨年演奏会のアンケートでね、
  『松下は振るかしゃべるかピアノを弾くかどっちかにしろ!』
  というご意見がありまして。

  ・・・私のしゃべり、ウルサイですかねぇ?

 余計なことを書くお客さんもいるもんです(笑)。



                            その2へつづく



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