演奏会感想の部屋

 

 
      全国大会一般Bの部感想


   
 
 一般部門Bグループ(33人以上)は
2004年11月21日13時50分から行われました。
 さて、一般A部門では
 「少人数にはキツいホール」と感じたため
比較的大人数のこの部門では良く聞こえるのでは、と期待したのですが。

 ・・・うーん。
 やはりMix Voiceが感じられないせいか、
演奏で個人の声が目立ったような気がします。
 それゆえ合唱団固有のトーンの統一に少しだけ不十分な団体でも、
ノイズが多く、その音楽の「伝わり」が
こちらの耳まで届かないような印象がありました。

 2003年のB部門では金賞から銅賞の団体、
全ての団体の演奏が素晴らしく感じられたのですが、
残念ながら2004年度はそんなことはなかったです。
(しかし、この4年間コンクールを聴き続けて、
 そう思ったのは2003年だけだったから
 2003年度が単に珍しい年だった。・・・のかも?) 

 一般Aと比較し、その音楽が面白い、
音楽で大事に思っていることが分かるし
やりたいことが私にはとてもよく分かる、というのは
上位団体の演奏がほとんどでした。

 これは人数が多くなることによって
目指す音楽がぼやけてしまう、ということもあるのだろうし
(そういうわけでトーンの統一などの
 技術的な面で優れている上位団体は、
 その音楽が客席にしっかり伝わるのでしょう)
前述のように、このホールの音響も
大きく影響しているのかもしれません。


 全団体を聴きましたが金賞団体と
銅賞・銀賞団体の一部の感想を書かせて頂きます。

  演奏曲はこちらを参照お願いします。


 <銅賞受賞団体>


 アンサンブル・シャロン
 (千葉県・関東支部代表・混声38名)

 この団体は札幌での全国大会以来でしょうか。前回はA部門だったような?

 課題曲は遅めのテンポでややダレた印象。
 そのため、リズム感に疑問や、音を押しているような箇所も。
 ただ若々しい声、軽やかで上品な演奏には好印象。

 自由曲は抑え気味に、やはり上品な表現。
 デクレッシェンド、ピアノのニュアンスがとても良い。
 ただ音楽上の表現、感動も
 「自分たちの中」の範囲で収まっている気がするので
 その生まれ出たものを、前に、客席に飛ばし伝える意志が欲しい!
 …と、少しもどかしく思いました。

 札幌大会の時も感じましたが、全体に知性的な音楽造りは良く、
好感が持てる団体でした。



 <銀賞受賞団体>


 岡崎混声合唱団
 (愛知県・中部支部代表・混声45名)

 やや硬質な声、課題曲は速めのテンポで
きっぱりさっぱり歌っていく。
 しかしそれでもディナーミクは細やかですばらしい。

 自由曲は、例えばある表現が繰り返される箇所など、
単純に同じことを何回もやっているだけのように聞こえたり。
 ひとつの音楽の流れの中として、
それぞれの箇所がどういう役割、意味を持つのか、という所まで
少し考えが至っていないような印象も。
 音楽の先が見えたり、「予定調和」という言葉が頭をよぎったり。

 弱音の表現力には残念な部分もありましたが、
 (あとフォルテに絶叫以外のイメージが欲しい。特にソプラノ)
よく練られた男声、そして張りつめた緊張感。
 力感あるリズムと力強い声が、この演奏に説得力を与えていました。



 混声合唱団はもーるKOBE
 (兵庫県・関西支部代表・混声56名)

 残念ながら全体にソプラノのビブラートが悪目立ちして、
 「演奏を聴く前にビブラートを聞く」…という印象でした。
 あと今回の演奏では素晴らしい指揮者のお力が末端まで届いていないような?

 課題曲はしっかりした構成とイヤミのない情感が伝わり。

 自由曲は個人の声がやはり目立つものの、
メロディからリズミックな軽やかさなどにハッとさせられ、
あたたかな人間讃歌、という雰囲気にひたらせていただきました。



 淀川混声合唱団
 (大阪府・関西支部代表・混声65名)

 初出場の団体。明るい、軽めの声。
 課題曲はパートの統一にやや難があり、飛び出し、
テンポのズレが散見。
 パートごとの声のまとまりから生まれる「伝わり」というのが少なかった。
 セカセカ急いでる雰囲気だったが自然な流れは好印象。

 自由曲は明るく現代的な曲調。
 つぶやきのような、短いソプラノのフレーズが印象に残る。
 女声のピアニッシモ。ヴォカリーズ。音響のニュアンス。
 …聴いているうちに心が澄んでいくような。

 そして、おそらく、この2日間でもっとも美しい瞬間。


 salve,salve,salve,salve,salve…


 横で聴いていた管理人yoshiの
 「あそこ、ずーっと聴いていたかったですよね!」との言葉にまったく同感。
 ブストに似ているが、それほど奥行きは感じられないこの曲を
指揮者:伊東恵司さんの力量と団員さんで磨き、高みに引き上げた印象。
 会場で、演奏テープを買いに行ったら売り切れだった!
 (きっと同感の人が多くいたんでしょう)

 軽やかで明るいトーンを実現しつつ、
その上で説得力ある音楽を求めている道の途中、という気がしました。

 話によると伊東さんは常々練習で
 「イイ声はいらない」…と言われるそうで。

 「イイ声」がいない合唱団の演奏が
これからどんな「イイ響き」を生むか、大変楽しみです!



 MODOKI
 (佐賀県・九州支部代表・混声41名)

 課題曲はその訴える哀しみ・悲しみが深い。
 しかし、細かな陰影が必要とするところで
薄く、至らない部分があったり。
 比喩としてだが、8分音符・16分音符の細かさを
4分音符で捉え、歌ってしまっているような。
 …それは人数、特に女声の少なさのためもあるが。
 (ステージ上では37名だったはず)

 自由曲はピアノと合唱が拮抗する興味深い曲。
 やはり女声の入りのデリケートさなどに難。
 ピアノがほとんど音楽的に合唱と交わらずHの連打、
 絶え間なく降りしきる雪の中、湖に張った薄氷の上を進むような、
 非常に微妙なところで均衡している、しかし胸に残る切ない名曲。

 悲しみの世界を、張りつめる、今にも切れそうな糸のように伝え、
その悲しみの奥にある、たとえば失われる前の喜びや光などの
奥深い感情も表そうとはしている。
 しかし残念ながら表わす前に
その感情を熱さと緊張で燃やし切ったような印象も。


 ただ、まあ、「コンクール」という感想では
上記のようになってしまうのだけど。
 これほど痛烈に
「私たちが存在している意味は歌」
「私たち自身を伝えられるのは歌」
・・・ということを感じさせてくれる団体は本当に少ない。
 最初の第一声から胸元に真剣を突きつけられたような。

 ここまで
 「合唱は全存在を賭けるに足りうるものだ!」
 そう、演奏で証明してくれるこのような団体が存在するからこそ、
私は合唱を聴き続けていられるのかもしれません。

 最後のピアノのアルペジオは砕かれたガラスの破片?
 その音に自分の心を重ねてしまいました。素晴らしいピアノです。

 演奏が終わった後、握りしめていた手をひらくと白くなっていました。



 大分市民合唱団ウイステリア・コール
 (大分県・九州支部代表・混声43名)

 課題曲は女声(特にアルト)が浅く聞こえてしまう声で
やや棒歌いに感じてしまいました。
 中間部などの響きの設計はとても良かったです。

 自由曲はウイステリアが委嘱したこの作品の最終曲2曲。
 ここ数年、この現代的な難しい印象の組曲を演奏していたが
 「終わりはこんなぁ〜に分かりやすかったんだね!」…と驚いた。

 エネルギーの推移が分かりずらく、
私には音楽が止まったような箇所があったり、
「歌」と「現代曲」的なパートとのメリハリが欲しいかな、
とも思ったりもしましたが、
その「分かりやすい」歌への共感が伝わり、
女声も課題曲とは別人のように音楽と想いを伝えてくれました。

 改めて、全曲を通して聴いてみたいですね。
 この千原作品への委嘱活動、ありがとうございました!



 <金賞受賞団体>


 合唱団ノース・エコー

 (愛知県・中部支部代表・混声82名)

 課題曲は楽譜の読み込みが深く、
ステージ上の幻のスクリーンに楽譜が映し出されるよう。
 作曲者が聴いていたら嬉しかったのではないでしょうか。

 男声の響きがとても良く、ヴォカリーゼの表情も細かい。
 ソプラノの高音域にやや難はあったかな。
 音楽の読み込みが深いときは多くの演奏に
「作っている」感じが多いものだけど
この演奏は全体に弱音から最大音までの減衰・増量の設計が自然。

 自由曲は重厚で地鳴りの響きのBassと、
以前は細いだけの印象だったソプラノに
繊細で純粋、というイメージが付加され、
その対比がピラミッド型の混声合唱として素晴らしい完成度。
 ほんと、ソプラノ主導の合唱団が全国には多いのに、
このノース・エコーの実現している響きは貴重です。

 クラスター、声部が多いこの難曲を
 (どうやってあの崩れた音から元に戻るんだろう?!)
緊張感あふれる雰囲気で、徐々に崩壊し、
あたりが暗くなっていく・・・という風に、巧みに表現していました。
 技術的な完成度は、非常に高く安定してきていますね。


 <ここから先、ノース関係者は読まないことをお薦めします>

 …さて、技術的にはかなり高い演奏だったのだが、
残念ながら私にはあまり良い印象ではなくて。
 大変上手だけれども、その表現の芯、というものが見えないのだ。

 課題曲も「子守歌」…という雰囲気は“なんとなく”出ているけれども
あくまでも“なんとなく”であって、優しい、穏やかな雰囲気というだけ。
 どういう情景で、どんな思いをもって、どの対象に
 「子守歌を歌っている」のかがさっぱり伝わってこない。

 例えばこの演奏を「子守歌」ではなく「ラブソング」ですよ、と
説明されたら「ああ、そうかもね」と思うだろうし
「遠い故郷を懐かしむ歌」と説明されれば「ああ、そうかもね」
…とこれまた思うだろう。
 「おやすみなさい」という言葉が
 「ごめんください」「おあがりなさい」「おかず白菜?」でも
 別にいいかなー、と思ってしまう。

 いかにその表現が上手くても、代わりが可能な表現、ということは、
その表現の価値はどこにあるのか?…と疑問に思ってしまうのだ。

 自由曲もたとえば
執拗に繰り返される不安と安定の和音の連続に、
演奏者の変化していく心は無いのか?
 大きく減衰しながら変化し溶解していく音に、
演奏者の共鳴する心は無いのか??

 これだけ上手いのに、いや、上手いからこそ、
演奏者の表現の芯が見えないことに、
不安になり、やがて呆然とし、…ついには苛立ってきた。

 人物像で、キャンバスも絵具も一級品。
 構図も良く、タッチも繊細で、色彩も華やか。
 ・・・しかし、肝心の描かれるはずの顔が『のっぺらぼう』。
 そんな印象を持った。

 繰り返すが技術的には大変に高度で、
金賞受賞には全く異議はない。
 個人的にはシードでも良いと思ったぐらい。
 だから「コンクール」というこの場では全く問題ない演奏とも言える。

 だが、離れた心、離れた世界を、
近づけよう、近づこう、とする心象に音楽があるとすれば、
この演奏にはそういう意味での音楽は残念ながら、無い。

 元在籍していた合唱団なので、必要以上に感想が厳しくなったのかもしれない。
 その点は深くお詫びします。
 ただ、これだけ優れた技術を持ったノースがその技術でいったい、
 「何を表わそうとするのか?」
 その点が私には全く分からなかった。


 私は、演奏にノースひとりひとりの顔を見たいのです。



 なにわコラリアーズ
 (大阪府・関西支部・男声60名)

 聴けなかった人には大変申し訳ありませんが、
この日の「なにコラ」を聴かずに帰った人は、
本当に、じゃこ天食べてる場合じゃないでしょ!…と言いたい。
 「何しに松山まで来たのっ?!」…と訊いてみたい。
 (いやあっさり 「歌いに」…と答えられるだけかもしれませんが)

 課題曲は柔らかい声。長い旋律。トップの歌い回し。
 言葉のニュアンス。情感。ピアノからフォルテまでの音量とイメージ。
 全てにわたって「上手い!!」と言うしかない演奏。

 自由曲は演奏会でもやった現代曲。
 IKSの猿渡さんも指摘されていましたが、
数十年前の邦人曲である課題曲と、現代の外国曲である自由曲では
声も、音楽への姿勢も違うんですよね〜。

 清水脩作曲の課題曲は昔から存在するやや「グリー調」な発声と音楽作りで。
 (まあそれでも、ここまで繊細な声と音楽が、
  この課題曲が作曲された1962年に聴けたかどうかは疑問ですが)

 自由曲は特にトップテナーがファルセット混じりの、現代的な発声。
 海の様相を描く、それぞれのソリストの声の演技。
 …課題曲と自由曲で男声合唱の時の隔たりを見事に感じさせてくれます。

 旋律ももちろん、
 呼び声、「Siーーー!」吐く息、海鳥の鳴き声、叫び声・・・。
 どの表現どの効果もその背後にある情景が豊かに広がって。
 声でここまで世界を広く、奥深く作れるものか!
 そう圧倒されると同時にその海の世界に
 もっと、もっと入って行きたい!!と願うほどその世界は生命と魅力に溢れ。

 素晴らしいテノールソロが終わると、今まで厳しく、冷たい印象だった音が
あたたかく、情感が満ちる一点に集中し雪崩れ込み。
 演奏会では最初から最後まで理知的に演奏した印象のこの曲でしたが、
なにコラはこの瞬間で、ある枷を外したような。
 それは私にとってこの上ない快感でした。

 技術的な問題や、CDで聴き直したら「あれっ」と思うかもしれない。
 しかし、「なにコラ」を初めて聴いてから今までで、
今日のこの演奏が私にとってベストでした。震えたぜ!



 豊中混声合唱団
 (大阪府・関西支部代表・混声57名)

 すいません、今回、キツい感想です。
 「好き嫌い」で語る私を嗤ってください・・・。

 課題曲はソプラノのビブラートで表現力が全体に浅く感じられてしまう。
 躍動感、フレーズの終わりのニュアンスに少し疑問があり、
 このホールの聞こえ方のためでもあるが、
Mix voiceの追求をお願いしたい。
 大きい音量ではガナってしまう印象もあった。
 しかし、軽やかで明るい音楽を目指そうとする姿勢には好感を持ちました。

 自由曲は、これは私側の問題でやはり厳しい感想。

 表現として、例えば「笑い」という感情を与える側が
 まず自分から笑ってしまうような表現を私は好きじゃないのだ。
 文章で言えば、笑わせる側が、(笑)や(^_^)を使うような。
 それと同じで受け手に悲哀の感情を“与える側”の豊中混声が、
 最初から「泣いてしまっている」のが非常に気になった。

 そして、全く個人的なことなのだが、
栗友会のこの曲の名演を過去に2回も聴いてしまったこと。
 ・・・名演って記憶に残ってしまう・・・。

 できるだけ、栗友会の演奏を頭から消そうと思ったが、
それでも前述の「始めからの泣き節」。
 そしてその涙に隠れてしまった楽曲の「冷たさ」「世界への醒めた視線」。
 構成やリズムなど、きっかり作って欲しいところが乱れてしまったこと。
 それは私にとって、感動への障害物となってしまった。

 もちろん、この楽曲はそういう「泣き」の感情を要求している曲でもあるし、
豊中混声がどれだけこの演奏に思いと力が入っているか、
それは演奏の勢いと力演で非常に理解できた。
 私以外の人間が「感動した!」と言ったとしても、
それはそれで充分納得できる演奏だったと思う。

 ただ、全く私の個人的な理由で、
上記のような感想になってしまいました。…申し訳ありません。



 グリーン・ウッド・ハーモニー
 (宮城県・東北支部・混声60名)

 自由曲はシェーンベルクの3曲。
 暗く、不安な世界を音量や響きの増減で表わし、
 3曲目で深く、熱く、表現を変えた。
 ・・・私にはちと難しい世界。
 難易度が非常に高い楽曲ということは分かるのですが、
 それを越えて私には伝わるものが少なかった。
 ううう、(私の)勉強不足?

 課題曲は素晴らしい。ホント、素晴らしかった!
 一般ABでこの課題曲を演奏したすべての団体の中で
 私にはサイコー!に良かった。
 音楽の始まりの「Ecco…」はダラ〜っと流すのでも
 “E” “cco” …と区切ってリズムを強調しすぎるのも
 (…なんか違うなあ〜)と思っていたのだけど。

 今井邦男先生の最初の指揮がもう、
なめらかな動きの中にリズムがあり、
それだけで良い音楽を感じさせられてしまう。

 旋律のなめらかさ、軽やかに弾むリズムが世界を広げ。
 場面転換も前からの流れを止めない。
 メリスマ、各表現も実にセンス良く、
 パートからパートへの音楽の受け渡しが波が移っていくようで、まさに
 『波はささや』いている!

 この60名という比較的大人数で、どうしてここまで
自在にアンサンブルできるのか。
 各自が自発的に輝いているのに、どうして乱れないのか。

 音楽の喜びの深さを感じさせられた名演でした。
 納得!…という感じが聴いていて湧き起こりましたねえ。



 合唱団ある
 (広島県・中国支部代表・混声57名)

 課題曲はメリスマがカタいながらも優しい雰囲気を表出。

 自由曲は表現の奥まで突き詰めず、
まったりと優しく、明るい音楽の表現。
 作り込む部分や、指揮者の(そして歌い手の)細部への
イメージはどうなっているんだろう?と疑問に思ったりもしたが、
表現そのものは確かな実力。

 演奏後の拍手をした後で
 「…ハテ? どんな演奏だったかな??」
 と記憶をたぐってしまう演奏なのかもしれないが。

 でもここまで自然体に、聴くものに緊張を与えず、
それでいて高度な実力の合唱団はなかなか存在しない。
 見学をさせて頂いたときにも思いましたが、
合唱団の雰囲気の良さが、そのまま演奏に現われている印象。

 田畑政治先生がお亡くなりになった後、
 久しぶりの金賞でしたね。おめでとうございます。



 大久保混声合唱団
 (東京都・東京支部代表・混声72名)

 課題曲はやや遅めのテンポの中、たっぷりと情感を盛り込む。
 例えばフォルテの「みんな眠るよ…」などでも決してガナらず
曲に合ったニュアンスが徹底されている。
 テンポの揺れ、そして感情表現がとても上手く噛み合っていて。
 (poco riten.の指示がある「こどもの…」なんて
  「うっまいなあ〜!」と唸りました)
  辻正行先生への追悼の意味を含んだという「子守歌」、満喫しました!

 自由曲はインパクト抜群。
 ソプラノから2人が舞台上手下手端に分かれ、
 さらに1人が客席中央に降り、
 それぞれの歌と合唱が呼応する、面白い音響空間を造り上げていました。

 最終曲も言葉の細やかなイメージと説得力ある音楽造りに圧倒。


 …さて、愛媛県知事賞(2位)を受賞したシード団体ということで
少し苦言を書かせて頂くと。

 課題曲は確かに情感がこもってそれは伝わって来ましたが、
この曲本来の各表現をちゃんと掬っていたのかなあ〜…と。
 故・辻正行先生が指揮される、公募曲の演奏は
 「おお! こういう曲だったんだね!!」
 そう思わせるぐらい各部をしっかりと作り、なおかつ
 作為的ではない自然な表現、という印象が強かったため、
 今回の演奏にはやや「?」が浮かびました。

 そして、「響き」への追求。
 昨今の実力ある団体が、やや軽めで明るい響きを指向する中、
大久保混声合唱団はその点をどう考えているのか。
 自由曲も3人のソリストを除けばもろ「80年代合唱」という曲なので、
大久保混声が選ぶその響きは合っていると言えば合っているのですが。

 新しいものが全て良い、という事は決してありません。
 しかし「新しい響き」を知った上で、
意識的に現在の響きを選択しているのだろうか?
 …という疑問を持ってしまったのです。
 選曲、その姿勢、響きとともに、これからの大久保混声合唱団は
どういう未来を目指すのか?という点で少し不安になってしまいました。

 もちろんこれは、実力ある合唱団へのほとんどイチャモンに近い感想です。
 聴いた後は「合唱を聴いた!」という充実感が湧いてきました。
 繰り返しますが、説得力ある、実に良い演奏だったと思います。
 
 
 
 
 <感想を書き終わった後で…>


 2年ぶりに全国大会の感想を書いてみました。
 肯定的な感想が多かった2003年の全国大会の方が
感想を書くべきだったのかもしれません。

 しかし2004年度も、(そうは思えないかもしれませんが)
各合唱団の活動を肯定し、
さらに自分自身の音楽への姿勢を確認するため、
こうして書かせて頂きました。

 一般Aの感想時にも書きましたが、
これはあくまでも知識も感性も足りない
文吾という一個人の勝手な感想です。

 「文吾! それは違うよ!!」
 …という意見がありましたら、メールにて受け付けますので
どしどしお送り下さい。

 乱文、誠に失礼いたしました。



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