演奏会感想の部屋

 

 

 『ヴォーカルアンサンブル《EST》』(三重県津市)

 男声15人・女声19人(プログラム上は36人)
 向井正雄先生の指揮で。
 女声の衣装は銀色の生地に網目模様(?)のロングドレス。


 おんがく (木下牧子:作曲)
 Motette 1  “Singet dern Herrn ein neues lied”BWV225
 (J.S.Bach:作曲)
 Lauda Sion※ (G.Orban:作曲)
 グリンピースの歌※,さびしいカシの木,ロマンチストの豚,サッカーによせて
 (木下牧子:作曲)

 ※はアコール《EST》(女声合唱)

 ステージいっぱいに広がっての演奏。
 さて、最初に書いた
「母体の大人数団体が室内合唱向けのこのホールで演奏するとどうなるか」
…という疑問を一番感じてしまったのがこの団体。

 前の6団体とは違うやや硬質な声。独特な軽さ。
 高いところで鳴るような響きは健在。
 ・・・しかし、まるで大ホールを思いっきり”鳴らす”かのような立ち位置、
今回の発声。
 このよく響くベガ・ホールでは息漏れも混じり、生声に聞こえてしまう。
 団員個々の声が前に出て、EST全体の響きが分からない印象。
 正直・・・ちょっと『ウルサイ』。
 リハーサルでこのホールの鳴り方などは経験したはずなので、
私には想像できない音楽上の目的があったのかもしれません。


 「おんがく」は暗譜で、充分に気持ちの入った演奏。

 「Singet〜」 は表現意欲が先に行き過ぎてしまって。
 立ち止まって曲の各部分の魅力を見つめ直して欲しいような。
 自分達の演奏を「これが美しい!」
とする最低基準が低い気がするのだ。少々粗い。
(あれ〜、ESTってこんな歌い方する団体だったかな??)と疑問符が浮かぶ。
 この難曲を破綻もなく、
若々しい躍動感で歌うことができるのはさすが!…なのだけど。
 ・・・やはりこのホールと歌い方との相性の問題だろうか?

 女声合唱の「Lauda〜」は鳴る発声で聞く耳を圧迫しながらも
リズムに乗り、音楽の各部分を彫り深く表現。

 「グリンピースの歌」
からは
一列に並んだ合唱の、良く練られた表現。
 ステレオ効果やコミカルな表現が
聴く私の耳も今日のESTの響きに慣れたため、楽しく聴くことができた。

 ここからの木下牧子作品では近くの演奏会で取り上げるせいか、
CD用の録音を最近したためか暗譜の団員も多く
「この曲を愛している!」というのがとても伝わってくる演奏ばかり。

 曲のしっかりした骨格と木下メロディの繊細な叙情がじんわりと染みてくる。

 「ロマンチストの豚」では曲の終わりに飛び去った豚を
団員みんなが目で追って静止する。
 狙った演出かは分かりませんが、
そんな演出が自然と、さらに余裕が感じられる演奏で。
 曲が団員全員に深く染み渡っている印象の奥行きもあり。

 「サッカーによせて」はア・カペラヴァージョン。
自分も聴きながら思わず鼻歌が出てしまいそうな、楽しさが伝わる演奏。
 気持ちの良い、爽やかな感動があった!


 ステージ前半は疑問を感じる演奏が多かったのだが、
後半の木下作品ではコンクールでは決して聴けない、
そして単に上手いだけではない、
曲の持つ雰囲気を充分に伝える好演ばかりだった。
 やはり《EST》、良い合唱団です。





 《まとめ、として》

 これだけの団体を1つの演奏会で聴けるとは!
 本当に、充実、満腹のコンサートでした。

 いくつか注文、というか疑問なのだけど。
 「Friendship Concert」と「友情」を冠しているこの演奏会、
合同合唱などとは言わないまでも、
観客にそれを感じさせる企画が少し欲しかった気もする。
 ESTの演奏が終わったらそれで終了、のようではちとサビシイ。

 前夜に出演団体の交流会があったそうだが、
その模様を司会の方がお話してくれたり、
司会と各団体の方が一対一で、お話するだけではなく、
最初に各団体の代表か指揮者が揃い、
司会者の進行で意気込みを軽く語り合ってくれても良かった。


 もうひとつは「コンクール」と「演奏会」の違い。
 Vineへの感想でも書いたが
観客が聴いたあと、「どんなひとことを言って欲しいか」だと思う。
 それには選曲ももちろん重要だが、それだけではなく、
その曲を演奏することで聴く者にどういう雰囲気を感じて欲しいか。

 単に愛唱曲を演奏する、というだけではやはり伝わらない。
 コンクール用の自由曲でも、細かい技術的な側面は少々目をつぶって
「演奏会」というこの場で輝く、別の歌い方というものもあるだろう。
 「コンクール」という場から生まれた「演奏会」だから、
余計にその違いというもの、
各合唱団がその違いをどう思って、なにを伝えようとしているか、
…ということを考えてしまった。
 その違いを深く感じさせる団体もあれば、・・・そうではない団体もあり。
 (技術水準が高い団体ばかりなために、私も要求が厳しくなる)


  しかし、コンクール否定論者とお話したりすると
「音楽は競うものじゃない」「あの雰囲気がイヤ」
…と頭から否定される方がいるものだけど。
 もちろん、その意見に同意する気持ちは少しあるが
その否定する「コンクール」という場から、
こんな素敵な演奏会が生まれることもあるんだよ!
 そう、触れ回りたくなるほどの、良い企画・演奏会でした。

 それは宝塚コンクールが2日目のグランプリ・コンクールで
互いの演奏を聴け、他団体を敬う機会が多いコンクール、
ということもあるのだろうけど。
(全日本の方も、3年連続金賞だったら次の回だけは
招待演奏で20分好きな曲を演奏しても良い…とかできないものかねえ〜)


 この演奏会のCDが発売される(¥2500)、ということで、
「たくさん売れたらもう1団体を追加して、2年後の演奏会を!」
…と洲脇先生はおっしゃっていましたが。
 8団体にするのはともかく(…長すぎ)海外の団体をぜひ招待して欲しい!


 最後に、この演奏会を実現する大きな役割を担った
ESTのアンサンブルトレーナー、加藤あかねさんによる、
このコンサートの趣旨をとてもよく表したプログラムの文章で、
この感想を締めたいと思う。





 ”今日という日”

 発起人 ヴォーカルアンサンブル《EST》アンサンブルトレーナー 加藤あかね


 毎年行われてきた<宝塚国際室内合唱コンクール>が、今後2年に1度の割合での
開催になるという。この事実に私は衝撃を受けた。
定期演奏会やコンクールで演奏する度に、「私たちはなぜ演奏しているのだろう」と
最近感じていた。自己表現を超えたところに何が待っているのだろうと思っていた。
そして、“演奏することで、何かに貢献できないものか”という思いが強くなって
いった。
 一昨年、このコンクールにイスラエルからモラン合唱団が出場した。手話を用いた
演奏や踊りながらの演奏に、涙が溢れて止まらなかった。そして、「演奏することが
平和活動に繋がっています」というコメントには、非常に関心を持った。
 「これだ!」と思った。日本で唯一の国際コンクールを開催して頂いている事への
感謝の気持ちと、このコンクールの継続を訴える気持ちを持って、コンクールで出
会ったたくさんの合唱団との友情(Friendship)に満ちたコンサートを催
したいと思ったのだ。この機会が、私達に演奏する事の意味を教えてくれているよう
な気がした。
 同じ気持ちを持つたくさんの合唱団と共に、その”演奏する事の意味”の答えを見
つけ出す事ができるのを幸せに感じている。







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