演奏会感想の部屋

 



  プロムジカの演奏前にそれぞれタイプの違う日本の女声合唱団、
3団体の賛助出演があって。
 決して悪くは無い演奏だったのだけど(詳細な感想は避けます)
いわゆる「日本の女声合唱」とプロムジカの差異を
考えてしまうことになりました。

 ひとつは「声の届く距離」
 プロムジカの声は、気張っているわけでもなく、
声を空気に流しているような印象なのに、「落ちない」。
 空気が味方をして、声を支え、遠くまで運んでいくような。
 それに比較すると、日本人の合唱はどうしても
放物線を描いて下へすぐ落ちちゃうような声なんだよなあ。

 プロムジカを聴きながら

 「日本人の中学1年生の女の子40人を
 ハンガリーのニレジハーザに6年間ほど送り込んだら
 プロムジカ並みに発声が変わるものなのかなあ」

 …などと非・現実的なことを考えてしまいました。
 6年後にプロムジカと全く遜色ない発声なら、それは「技術」だし。
 及ばないものがあれば、それは骨格など
どうしようもないものなのだろうけど。


 ふたつめは「リズム」。
 日本の合唱団なら
 「この72.5進んだ位置で強く!」…てな印象の演奏が多いけど
 (もちろん「リズム感が本来必要な曲」を
  拍節感も全く無しにつらつら流れるだけの演奏する団体よりは
  数百倍マシですが・・・)
 「72.5」のポイントがいくらかズレたとしても、
そこへ持って行き、高まっていく体の使い方が
見ているだけでも全然違うんですよね。
 アタマでリズムを打つのではなく、カラダで打つ、という感じ。

 自分も全くできないけど、このリズムへの感覚って
実践するのは相当難しいんだろうなあ、と改めて思った次第。

 
 最後のみっつめは「必殺技の使い方」
 プロムジカのフォルテッシモはとにかく響く。
 そそり立つ「音の柱」という感じ。圧倒されます。
 ここまで響かせる発声の合唱団は数少ないだろうけど、
でも「充実したフォルテッシモ」を「練られた発声」でやる団体なら
日本でも存在しますよね。
 しかし、その多くは「フォルテッシモ」を出す事だけで
満足している演奏が多い気がして。
 特に、音楽大学出身のメンバーが多い団体に多いような。
 「この表現ならこの発声!」と狭く決まってしまっていて。

 「その赤い色は確かに良いけれども、
  それしか色を持っていないの?」・・・というか。

 プロムジカのフォルテッシモも確実に「必殺技」です。
 そのヴァリエーション自体は無いけれど、
でもその「必殺技」を見せる・聴かせる前、後の
弱声、表現技術は多彩で良く練られていると思うんですよ。
 その点はサボー氏のセンスに改めて感心しました。
 凡百の指揮者が振ったらプロムジカも
 「単にウルサイだけの女声合唱団」になってしまう可能性がありますね。
 (…もっとも、何曲か演奏されていたコチャールの新曲は
  プロムジカのために書かれた為か、
  あまりにも「必殺技」の聴かせ方があざとかった、です 笑)


 後半はバルトーク、コダーイ、バールドシュのお得意のレパートリー。
 信長貴富氏編曲の「ずいずいずっころばし」なんて、
面白い日本の曲も何曲か聴けて楽しく。

 そうそう、前半の始めごろにホルスト:アヴェ・マリアを演奏して
 「…こんな曲を序盤でいいの?」と思いましたが
前半、最後の曲はフランツ・ビーブルの「アヴェ・マリア」
 男声では有名な名曲ですが、高い位置のオルガン前にも1列に並び、
もう一段高いバルコニー席(?)にも何人か。

 同じ旋律が何度も歌われていくうちに盛り上がり、
オルガン前の1列の旋律と呼応し、そしてさらに高いバルコニー席から
“降ってくる!”高音域のヴォカリーズ・・・と
ここまで響き、聴かせ方を考えた演奏は無いのでは、と思わせる
大変充実した、効果の高い感動的な演奏でした。
 これはこれからの重要なレパートリーになるだろうな〜。


 あと、1番前の席で聴くまではとほほ、だったのだけど
意外と良かった点がいくつもありました。
 立ち位置を曲にあわせて何度も変えるプロムジカ。
 その意図をようやく理解できることが何回も。
 例えばサイドを低声にして、ソプラノを中央にし、
旋律を浮かび上がらせる、などなど。
 思えば1番前の席、って指揮者に一番近い席なワケで。
 そう考えれば、指揮者の意図が一番分かるのも
ひょっとしたら一番前の席なのかもしれません。

 そしてメンバーの表情もよく分かる。
 なんかいつも笑っている感じなのはやっぱりソプラノが多かったし。
 厳しく、どちらかというと無表情で、んで、
難しそうなところが上手く出来たかなんかの時に
 「…にやり」、と笑うのはアルトが多かった気がします(笑)。

 (とは言ってもクビが疲れるし、
  音楽の全体像が分かりにくいからやっぱりやや後ろ側が好きさ…)


 ここ10年でハンガリーの作曲家の作品は、
日本の合唱団に非常に深く広まったように思います。
 オルバーンの作品なんて、コンクールではいまや中学生の
主要なレパートリーに入ってますしね。

 その普及に大きく役立ったのがプロムジカやカンテムスのCD、
そして来日公演でしょう。
 「どうすればあんな響きが!」と驚きとともに
 「演奏を聴く、というよりも”体験”という言葉がふさわしい」
 と言われた初期の頃よりも、
その演奏は日本で周知のものとなってきている気がします。

 日本人の演奏も、繊細さの面ではプロムジカの演奏をしのぐものを
コンクールだけではなく、いくつかの演奏会で
何回も聴いたように思います。

 「何が本物か」…という議論には正直、あまり興味はないのですが
プロムジカのような「圧倒的な響き」をひたすら追い求めるだけではなく、
日本人らしい繊細さでハンガリー作品を作り上げる多彩な今の状況は
割合「豊か」だなあ、という気も。

 ただ、改めてプロムジカの演奏に接して思ったのは
 「日本の合唱が学ぶ余地はまだまだあるぞ」…ということ。
 前述の私が挙げた3点もそうですが、
 「プロムジカとは全く違う日本人的演奏」を確立させるためにも
また新しい気持ちでプロムジカに向かうと面白いなあ、とも。


 まあ、そんなシチメンドくさい考えより、
やはり響きの効果、演出面では素直に感動しましたし、実に楽しかったです。
 嘘偽りなく、行って良かった演奏会でした。
 そして私自身の変化として、
以前は「響きの凄さ」だけをクローズアップし、明言していましたが、
今回は、ひそやかに歌われる、弱声の旋律、声そのものとその雰囲気に

 「・・・ああ、オレはこれが好きだったんだなあ・・・」と。

 私の中で、いわゆる
「女声の魅力」を体現している合唱団だと改めて思いました、プロムジカは。


 これからも好きになり続ける合唱団なことは間違いありません。
 次回に聴けるのはいつでしょうかね?
 そういや3年前にも聴けなかったコチャールの
 「ああ、雪の森の静寂」やランドル・トムソンの「アレルヤ」は
 今回も聴けなかったよ・・・。次こそは?!




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