演奏会感想の部屋

 

  第51回明治大学グリークラブ定期演奏会

 2002/12/7  17:30〜



 あいにくの雨模様。
 意外と駅から遠い新宿の東京厚生年金会館。
 みぞれになるんじゃないか、と思う寒さの中、
最初のエールは聞き逃してしまった。

 自由席だったが1階の良い席に座ることが出来て。
 最初のステージが始まる。オンステージ60人弱。
 (ブスト「悔悟節のための四つの歌」)

 むー。東京厚生年金会館大ホール。響かないホールだ。
 たぶんステージで同じパートの音以外は聞こえていないんじゃ無かろうか。
 響きが薄っぺらく、音程が不安定。
 それはブストに不可欠な、和声の妙が成り立たないことにつながって。
 ありゃりゃ、あの明治・立命交歓会での音はいずこ。

 外山先生の音楽を大事にし、繊細で荘重な進み方なのはいいが、
大事に歌わせようとするあまり、流れが途切れる印象があるような。
 ブストの曲は特有の和音の他に、大きなエネルギーの流れと
小気味良い、洒落た表現が魅力だと個人的に思っているのだが、
それはあまり感じられなかったのが残念。

 それでも最終曲になると、感情と声のむすびつきが
上手くつながったようで。
 軽い音色のトップ・テナーを中心に
響きも鮮やかな「ブストの音」をしっかり表現していた。


 2ステージは様々な作曲家の「Ave Maria」ステージ。
 学生指揮者:三好草平くんも
やはり「響きに苦労しているなあ〜」という印象。

 グレゴリア聖歌・パレストリーナは各パートが剥き出しになると
やはり安定さに欠けてしまう。
(特に「指揮」で合わすのではなく、
 団員の中で合わす感覚が必要の曲で、これはツライ)

 音楽も頂点に持っていく前に減衰してしまう…ような。
 しかも減衰後の音楽が無雑作で。
 これはやはり客席まで響きが「来ない」せいもあるが
(最初のステージでもそれは感じたため)
その点を除いても、指揮者も、歌い手も淡泊なのかな〜などと思った。
 
 クレッシェンドで三好くんが一生懸命振っても
あまり応えてくれない印象あり。特にテナー系。

 ホモフォニックな部分が多いブルックナーから徐々に良くなり。
 女声合唱で聴かれることが多いコチャールやブスト、
昨年全国大会でのガイアの名演が記憶に残る松下先生の曲。
 …などなど、若干音や表現に関するイメージが乏しいながらも、
男声合唱らしい面白さを客席に伝えていた。

 一番良かったのはビーブルの作品で。
 旋律の繰り返しが多く、飽きやすいこの作品を、
音楽的な工夫もあり、繊細に叙情豊かに、見事に最後まで聴かせた。
 いわゆる「良い曲」を「良い曲!」と思わせるのは至難の業だが
その難業をしっかり成功させていたと思う。


 20分の休憩後はなかなか響き、発声も良くなって。
 最初に書いてしまうが最終ステージの
外山先生指揮:団伊玖磨「岬の墓」
「昔のグリー調」の表現だが、発声が自然で伸びが良く、
表現も細部まで神経が通っていた。

 4ステージ中イチバン良かったステージは3ステージ目。
 客演指揮者:松下耕先生作曲・指揮の「日本の民謡」ステージ。
(こういうこと書くと、「文吾は耕友会ヒイキだからなぁ〜」と
 言う人がいるのは知っているけど。
 …良かったものは良かったんだからしょうがない。文句あっか?!)

 パートの統一感がすなわち全体の統一感になり。
 今までの音程はなんだったのだろう?と思わせるほど、
音程も安定し、イメージ豊かな和音が客席に充分に広がる。

 そう。和声には、単に音が変わるだけではなく、
熱さ、冷たさ。そして様々な感情が込められるものなのだ!

 躍動するリズム。
 一本の太い音楽の流れの中に立ち現れる鋭さ、柔らかさの
メリハリある表現。

 他のステージでは「合唱」という枠に押し込めるためか、
無駄な部分を削って削って・・・だけど
大切なものも削っちゃったんじゃないかい?と感じた部分が、
このステージでは甦り、捨てていた若さを音楽に“点火”していた!

 特に最終曲「津軽じょんがら節」では
熱いリズムにノせ、トップテナーの
「音程なんて無くていいんだ!」と言われたような


  
声が自慢の じょんがら節よ!


 という、熱い旋律が今も忘れられない!
 これぞ大学グリーを聴く醍醐味だあ!!


 女性のシャドウマイクによるステージ紹介。
 プログラムが読めるか読めないか、程度に暗くされる客席の照明。
 1ステージ毎の緞帳の上げ下げ。
 団員による先生方への花束贈呈。
 (ステージ上に指揮者・ピアニストでもない方が
  一人いらっしゃったような人がいた気がしたが
  あの方はOB会長なのだろうか?
  …もちろん観客には説明はない)

 大学グリーは「伝統芸能」である、という説には
全く同感だし、最終ステージの選曲、音楽の表現も、
「・・・コレって、20年、いや30年前にも同じことを
 やっていたんだろうなあ〜」などと、つくづく思ってしまった。

 まさに「様式美」の世界。

 栗友会関係の学生合唱団員には、こういう世界がある、と
是非とも知って欲しいし、それとは逆に六連関係の合唱団も
栗友会関係の演奏会に絶対行くべきだろう。


 それでもアンコール、外山先生のタダタケ「椿(中 勘助の詩から)」は
素直に「あぁ、やっぱり男声合唱っていいなぁ〜」
・・・とつくづく思ったのも事実(笑)。

 こういう理屈の超越した、響きの「キモチヨサ」が
大学グリーが変化しない理由の一つなのかも、と考えたりもしたが。

 松下先生ご自身の曲、アンコール曲の
「とう坂みま坂(「ア・カペラ エチュード」より)」で
パートごとに首を様々な角度に傾け、笑いを取っていた演奏に
新しさと洒落っ気を感じた自分もいて。・・・う〜ん。

 やはり曲名が分からない学生指揮者のアンコール、
(終演後の会場に、アンコール曲を記した立て札などはあったのだろうか?)  
曲の最後、ステージが暗くなり、
暗闇の中に団旗にスポットが当たり、緞帳が下がった・・・。

 あぁ、終わった・・・と思ったら、
今までそれほど熱心に拍手をしていなかった観客席から(失礼)
アンコールを求める、リズムに合わせた拍手!

 え、緞帳も下がったのに、まだアンコールあるの?!
 …と思ったら・・・あるんですねえ〜(笑)。
 再び緞帳が上がり、明治の応援歌(?)や
「君といつまでも」。中島みゆきの「時代」が歌われる。


 しかし! この演奏会、この「2度目のアンコール」の演奏が
心底、一番良かったと思う。
 良く練習されている愛唱曲たち、ということもあったが
発声と、「表現したい」という想いが見事に重なり、
声もイチバン伸びやか、軽やかな響き、しなやかな旋律が耳に心地よく、
「これが本ステージに活かされれば!!」と
本当に残念に思った。

 (あ、「君といつまでも」の演出は
  恋人の女性をステージに上げるなら
  満面の笑顔でピースサインをするぐらいのキャラクターじゃないと、
  見ている方がツライ。終始うつむいたままの女性。
  ・・・なにか悪いことを、聴く側がしているような気になってしまう。

  別に団員に女装させてもいいわけだし、
  客席に降りて座っている女性にそのまま
  セリフを言ってもいいんじゃないかな?

  ゴメンナサイ。
  楽屋オチ、内輪ウケ、が大嫌いな人間なもので…)

 
 全体的にはやはり全国大会、大学の部でも感じた
『練習していくことで損なわれていくもの』を
明グリでも残念ながら感じてしまった。

 伝えたい、表現したいことが胸の内にしっかりとあること。
 それを育て、伸ばすこと。
 さらにそれを受け取る側にちゃんと伝わるような
“技術”を磨くこと。

 その両立は、今の時代、「合唱」という枠では
なかなか難しいのかな。
 全体ではなかなか良かったんだけどな。惜しいな・・・。

 男声合唱の未来を考えると、軽く、明るい発声、
柔軟な音楽性を持つ明治大学グリークラブは
かなり可能性を感じさせるものだし。

 ・・・これからも本当に期待しているのだが。


 などと考えつつ明グリの演奏会後、
そのまま新宿で夕飯を食べ、店を出て歩くと、
目の前に「末広亭」の文字が。寄席だ。

 21時半から毎週土曜日、格安(500円!)で
二ツ目の落語家4人で深夜寄席、というのをやっているそうな。

 入った。面白かった!
 明グリの団員とあまり年が違わない大分県出身の青年が、
現在では聞くことのない「ひ」が「し」になってしまう江戸の言葉でもって語る、
長屋主人の迷惑な義太夫の噺を、大いに笑いながら聞かせてもらった。

 考えてみたらこれも凄いことだ。

 今は残っていない風俗を、
やはり今ではほとんど使われていない言葉で語り、
受け取る人を“笑い”という高難度な感情に持っていく。
 とても凄いことだ。


 最初は自分、そして自分の周りからも遠い表現の“枠”。

 その表現の“枠”に入るよう、自分自身を成長させていく。
 そして、その“枠”そのものについても考えていく。
 その強い意志が、その噺からは感じられた。


 合唱についても(いや、全ての表現でも)それは同じなんだろう。
 自分自身、それができているのか?と考えながら帰途についた。


 ・・・そんなわけで。
 がんばりましょう、明治グリー、合唱をするみなさん、そして自分






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