演奏会感想の部屋

 

 
  団員さんからもお誘いをされ、
 とてもとても行きたかった
2003年9月23日の
 
  「女声アンサンブルJuri 秋の演奏会」
 
  しかし、会場の山梨県・甲府市は倉敷からあまりに遠し・・・
  とアキラメ数日が過ぎると、突然掲示板に
  まさにその、聴くのを焦がれていた「Juri」演奏会感想が!
 
  あれ? オレいつ甲府へ行ったんだ??
 
  ・・・そんな疑問をいったん忘れて “文誤”氏による感想を
 どうぞご覧アレ!
 
 

  女声アンサンブルJuri演奏会   文誤   03/09/27(Sat) 20:13   
 
 
 女声アンサンブルJuri 秋の演奏会
 2003年9月23日15時開演
 

  甲府では先週まで真夏日が続いていたそうだが
 この日はすっかりさわやかな秋の風・・・
 
  にしては、風、強すぎない?(笑)
 
  強風の中到着した甲府市総合市民会館。
 まず入ったロビーは三階建てまで吹き抜けのスペース
 両側にはアリーナや事務室、会議室への入り口が並んでいる。
 高い天井にはシャンデリアが下がっていて、
 なかなか良い雰囲気。
 
  その中で「芸術ホール」へのドアをくぐる。
 
  そこは500席ほどの、
 いかにも「多目的ホール」って感じのホール。
 ここまでフツーの多目的ホールは
 最近ではむしろ珍しいかも。
 
  音響もごく普通で、
 
  これだったらさっきのロビーのほうが良く響く!!
 
 とか思ってしまった(笑)
 
  
  Juriはこの秋、スペインはバスク地方のトロサで行われる
 国際合唱コンクールに参加される、ということで
 (そして各地での演奏も行うらしい)
 今回はその壮行コンサート、的な意味合いもある。
 
  ではなぜ、遠くバスクの地まで行くのか?
 プログラムに指揮者の藤井先生が寄せられた文を
 引用させていただく(抜粋)。
 
**********************************
 
 私たちが向かうスペインの北、バスク地方は、国として
 はスペインに属するが、此処で暮らす人はみな、自分は
 バスク人だと胸を張って答える。だからそのために彼ら
 は歌う。私たちが参加するコンクールも、そしてその豊
 かな内容も、確かな想いに支えられている。
   (中略)
 私たちの豊かだと言われている社会は、この歌うことの
 意味を本当に支えているのだろうか。私は再びこの問い
 かけの答えを探しに出かけなければならないと思う。
 
**********************************
 
  「私の歌う理由」とは何か?
 歌を歌う者にとっては永遠のテーマですね。
 ましてそれと社会との関係まで考えるとなると・・・
 
   
    第1ステージ 
 
  今回の演目は全てア・カペラで、指揮は藤井宏樹先生。
 (なのでこの先、特に断らないです)
 
  プログラムにはメンバー17人のお名前があるけれど
 ステージに現れたのは15人。
 ビロードのような光沢のある、
 しかしビロードほど重くない生地の(多分)
 深い緑色のドレス。
 え〜と、玉虫色、かも(笑)
 
  第1ステージは、もう日本でもすっかりおなじみ
 バスク出身の作曲家、Javier Busto氏の作品を集めて
 
 Ave Maria gratia plena
 
  ブスト作品では混声のAve Mariaが有名だが
 もちろんこの曲は女声。
 
  簡潔なホモフォニーの曲だが
 時々現れるテンション音がいかにもブスト的
 その一瞬のきらめきがと解決されたときの安心感が
 豊かな声に支えられていて、なんとも美しい。
 
 Salve Regina
 
  こちらは曲の構造としてはグレゴリオ聖歌の先唱と
 それに和音がついての応答の歌い交わし。
 
  しっかし応答の最後の最後、
 ほとんどつぶやくようなところまで
 響きの豊かさを失わないのは、
 さりげないけどなかなか出来ることでは無いように思う。
 
 Responsorio de Navidad
 
  O Magnum Mysteriumの歌詞による曲。
 そのとおりの神秘的な静けさと
 後半の躍動感あふれるアレルヤとの対比が鮮やか。
 
  このあたりまでは、
 ちょっと立ちあがりの固さ、みたいなものを感じた。
 フレーズの入りがバラついたり
 旋律の動きがどこかぎこちなかったり。
 しかしこれ以降はいつもながらの良く響く
 しっかりした声で、安心の演奏。
 
 Kaia barrencan
 
  3拍子のレガートで優美な印象。
 でもプログラムには
 「漁師たちの日々直面する苦労を歌っています」
 とある、ありゃりゃ?
 
 Maritxu nora zoaz
 
  男が恋する女に、自分の愛を証明しようとする。
 しっとり口説く部分(?)と気分を盛り上げようとする部分、
 緩急の差が男の必死さを映しているようでなんとも楽しい(笑)
 最後にララララ〜〜と歌う中に突然掛け声が入るのは
 男の「やったー!」という喜びかな?
 (歌詞カードがないので分からないのです)
  


    第2ステージ 

 Inperayritz de la ciutat ioyosa
 (El "Libre vermell")
 
  14世紀のスペインの曲、聖母マリアへの賛歌。
 いわゆるルネサンスポリフォニーではなく、
 けっこう明確な3拍子によるホモフォニーの曲。
 フレーズの終わりで多用されるヘミオラが
 流れに変化を与えている。
 
 Messe a Trois Voix より Kyrie eleison
 (Andre Caplet)
 
  女声合唱の定番、カプレの3声のミサ。
 グレゴリオ聖歌風の長い旋律が多いけれども
 そこを長〜〜〜〜〜い息で、本当にしっかり歌う。
 その安定した響きだけで
 まったく印象の深さの違う演奏になるのだな、と発見。
 
 Se, dager kommer
  (Egil Hovland)
 
  ノルウェーの現代曲。
 さえずるような高声部のなかで
 アルトがじっくり旋律を歌ったり、
 律動的な O Jerusaremの反復があったり。
 
  ここまでの曲がテクニカルにおとなし目で
 (難しくないという意味ではありません)
 演奏もそれに応じたものだったのに対し
 曲の技巧的な面をあえてひけらかすかのような
 華やかな演奏!一気に爽快!!
 
 Hodie Christus natus est
  (Jozsef Karai)
 
  "Gloria in excelsis"や"Alleluia"といった
 おめでたい言葉が弾むように響く中、
 メインの歌詞「今日キリストがお生まれになった」が歌われる。
 それが喜びの中に溶け込んでお祭りのよう。
 
 アカペラ組曲 より II
  (木下牧子)
 
  「初演以来、ほとんど歌われていない」と
 作曲者が嘆いた難曲。
 全編ヴォカリーゼ、ぶつかり合う音、動と静の対照etc.etc...
 
  春にTokyo Cantatで聴いたときには
 
  「こりゃまた練習不足だなぁ」
 
 と思った、正直。
 
  しかし今回は違う。
 曲を良く消化し、どこが表現のポイントなのかか
 しっかり意識して歌っているように思えた。
 
  また明らかに緊張する部分に対して
 それが落ち着く部分でも弛緩してしまうのではなく、
 直接表面には現れない集中力を保ちつづけている。
 そしていざ、時がくれば、
一気に!!
  

    第3ステージ 

 無伴奏女声合唱による日本名歌集
 ノスタルジア(信長貴富 編曲)より
 
 里の秋
 ペチカ
 花
 赤とんぼ
 故郷
 
  昨今では日本の抒情歌の編曲集としては
 ほとんど定番!という感のあるこの曲集。
 Juriの演奏は全体に優しい、柔らかいタッチ。
 しかしその中でも曲に合わせたトーンの変化があって
 目の前に情景が広がるよう!
 
  (特にペチカでは雪の冷たさと柔らかさが微妙絶妙)
 
  ただそれであっても、
 また個々の曲の中での表情が豊かでも、
 この曲目だと「しっとり・しずか」系の曲に
 偏っている印象が残る。
 『花』以外にもう1曲テンポのいい曲が入っていると
 ステージとして随分、感じが変わったのでは?
 という気もした。
  

   第4ステージ 
 
 Lamento di Arianna より Lasciatemi morire
  (Claudio Monteverdi)
 
  ほ〜〜、女声でアリアンナ?!
 どうなるかと思っていたが、
 う〜ん、やはり混声合唱って、
 表現の幅が広いんだな、と再確認。
 ただもっとドラマチックな2曲目以降を聴けば
 この感想は変わるかも。
 
  しかし・・・ぼ、冒頭の音はあれで合ってたの?
 こっちがドキドキしちゃいましたよ!!
 
 Korusmuvei (Bartok Bela)より
 
 Mihalynapi koszonto
 
Leanykero
 
  (動揺のせいかメモが乱れていて^^;
   何書いてあるか判読不能、スミマセン!)
 
 ぬえ草の 女にしあれば・・・・
  (高嶋みどり)
 
  昨年の「だかぁぽ・こんさぁと」で聴いた曲。
 そのときは文吾さんと
 
  「なんか新実先生の曲みたいですね」
  「いや、むしろ西村先生でしょ」
 
 なんて話していたっけ(笑)
 日本の古典に題材を取り(この曲は古事記)
 音をずらしながら重ねていく技法の曲。
 
  ただ改めて聴いてみると、
 新実・西村作品とはやはりちょっと違う。
 お2人の同系統の曲では
 音響自体の表現意図が強いけれど
 この曲はそれよりはずっと、
 テキストに重きを置いている印象。
 それも意味というよりは、古語の響きに。
 
  演奏は・・・キターーーー!
 ついに強力なテンションを発動!
 空間を完全に占拠するかのような音のうねりに
 ただただ圧倒されるばかり。
 
 Gamelan
  (R Murray Schafer)
 
  必ずしも声の鳴りが良くなかったかな。
 もとのガムラン音楽で使われる楽器群は
 非常に豊かな響きがするだけに、
 サウンドスケープの再現としては
 ちょっと物足りなかったかも。
 練習を重ねて余裕が出てくれば
 また全然違う演奏になりそうですが。
 
  アンコールはもう1回里の秋
 
 
 
   全体を通して 
 

  これまでの、というか、
 先入観、から言うと
 Juriの演奏は「圧倒的」だと思っていた。
 
  圧倒的な技術力
  圧倒的な声
  圧倒的なテンションの高さ

  etc.etc....
 
 それをホール一杯に充満させ、
 聴く者を客席で金縛りにしてしまう。
 
  しかし、この日の演奏は違った
 響きの強さ・豊かさはもちろん保っているが、
 それをむしろ表現の手立てとして、
 自由自在に操っていた印象がある。
 そしてそれによって
 一つ一つの曲の持つ個性が鮮やかに花開いたような。
 
  これによる変化はもう一つ。
 これまでは発声に発音が負けてしまい、
 言葉が聞き取れない場面がしばしばあった。
 しかし今回の演奏では、全くと言って良いほど
 そのようなストレスを感じなかった。
 
  聴く者を圧倒するのではなく、
 むしろ聴く者を惹き込むような演奏、
 そんな新たな魅力を示した演奏会だったように思う。
 
  といって、これまでの武器を
 全く放棄したのではないことは
 幾つかの曲で存分に示してくれた。
 こうなると表現を展開するレンジは
 ちょっと尋常でない広さを持つことになる。
 
  再び藤井先生の言葉を
 
**********************************
 
 Juriはコンクールや様々な活動の中で、少しは歌う力が
 ついたかもしれないが、しかしその力は何のためにある
 のか・・・。
 
**********************************
 
  「歌う力」を限定的に捉えれば
 つまり表現のための手段だと考えるのなら、
 この演奏会は
 「その力は何のためにあるのか」という問いに対し
 今までのJuriにない答えを示したもの、
 私にはそう思える。
 
  もちろん表現力それ自体も、また手段でしかない。、
 それをもって何を表現するのかという問いには
 なかなか答えは出なそうにない。
 そして、それを探し続けるのが歌い手の宿命なのだろう。
 
  トロサへの旅で、少しでもその答えに近づけますように
 
  コンクールでの活躍と
 
ツアーの無事をお祈りしています!!
 
 
 
  (おわり)
 
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  ということで・・・  まるじゅん  03/09/27(Sat) 20:27   
 
 
 お気づきの方はすでにお気づきでしょうが
 ここまでわたくし、まるじゅんが
 「ニセ文吾モード」で書いていました(^^;)(_o_)
 
 延々たるイタズラですが、文吾さんの許諾済みです。
 しかしこんなに長いと知っていたら許可が下りたかどうか?
 まぁ私もここまで長くなるとは思っていませんでしたが^^;
 
  もちろん内容は真面目ですよ
 
 こんなこともうしません、
 というか、できません+_^;
 片道書簡の「僕」は要するに、
 今回のレポートで言えば最初と最後の部分しか
 書いていないんですからね^^;
 
  似合わないことはするもんじゃない、疲れた
  
これからはやはり
  文吾さんにお任せします。
 
 ・・・あれ?まだ抜けきっていない^^;
 
 
 
   はっはっは  文吾  03/09/27(Sat) 23:54   
 

   やー岡山から山梨まで行くのは疲れたなあ。
  そしてたった数日間でこれだけの量の演奏会感想!
  みなさん私をホメて! ホメて!!
 

  ・・・違いますね。
  そういうわけでまるじゅんさん、ご苦労様でした!
 
  いや、最近私はあんまりフォントをいじらなくなったとは言え
 言い回し、センテンスの区切り方、藤井先生の御発言の引用、
 そしてまとめ方…と大変素晴らしい「文吾」調でございます。アッパレ!
  パッと読んで、最後まで私の文章だと思った人が
 ほとんどなんじゃないかなあ。
 
  当たり前のことなんですが、
 感想を書く際、私はその演奏を聴いている。
  ですから自分で書いた文章を読めば、
 その演奏が自分の頭の中に鳴っている。
  しかし、この「文誤」氏の文章の場合、
 私はその演奏を聴いていない。
  ・・・それは、客観的に自分の文章を見つめ直す
 良いきっかけだったと思います。
 
  まるじゅんさん、改めてありがとうございました。
 
  それにしてもJuriの演奏、良かったようですねえ。
  文誤氏も語られているように(…なんかヘンかな、この書き方…)
 「圧倒的」な演奏を誇っていたJuriですが、
 その「力」そのものの意味、方向性、といったものへの追求があったとすれば
 さらに演奏は抜群の幅広さと奥深さを持つことになるでしょうね。
 
  「歌うことの意味」は私自身ももちろん問い続けなければいけない問いです。
 

  はーそれにしても・・・聴きたかった!
  「風に焦がれて」CDを聴いてガマンしよ・・・。
 
 
  (追記)
  その後のスペイン「トロサ国際合唱コンクール」において
 女声アンサンブルJuriは出場したヴォーカル・アンサンブル部門の
 「宗教曲」「世俗曲」部門でそれぞれ第1位を受賞しました。
  おめでとうございます!
 
 

 


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