演奏会感想の部屋

 



   波多野睦美&つのだたかし

 「古歌  〜イギリスのリュートソングとイタリアのバロック歌曲〜」 

 2007年5月27日 18:30開演

 日曜に広島まで
声楽家:メゾソプラノの波多野睦美さんの演奏を聴きに行って来ました。
 CDは何枚も持っているけれど
生演奏を聴くのはこれが初めて。
 会場となる東区民センターは、まんま“区民センター”という印象で。

 しかし演奏会が行われるスタジオ1という小ホールは
広さこそ学校教室2つ分ほどの広さだけど、
天井がやたら高く(7.7m)、
日本中探しても声楽とリュートの演奏に
ここまで合う場所はなかなか無いのでは、
と波多野さんご自身が仰っていたように
大変充実した響きのホール。

 リュート奏者のつのだたかしさんと
近くに並ぶように自身を位置づける波多野さん。
 この近い距離というのがピアノと比較して
音楽的にも密接な印象だったなあ、と。

 プログラムは
 「古歌  〜イギリスのリュートソングとイタリアのバロック歌曲〜」
 と題されたように
 イギリスの作曲家:ジョン・ダウランドの作品から。
 
 「甘い愛が呼んでいる(Come again)」から始まった演奏。

  …生の声は全然違いますね。
 想像していたものよりずっとずっと音圧のある、
存在感の大きい声に驚く。
 波多野さんのCDは実演に接する前に
3枚購入して聞いていたのだけど。
 CDの印象ではとても繊細で、
風の音にまぎれてしまうような印象だったのに、この存在感。

 そして、リズム感の素晴らしさ、躍動感!
 リュートの弾かれた音で始まった音楽が
言葉の立ち上がり、子音のリズムで
細やかな音符がどんどん駆け昇っていくよう!

 波多野さんのユーモアを交えた曲の解説。
 時に座り、立ち上がり、大げさでは無いが
歌に合った手の動きと表情で
生き生きとその世界を伝えてくれる。

 ダウランドの恋の歌4曲の後は
つのだたかしさんのリュート独奏。
 作者不詳の2曲。

 このリュート独奏は後半にもあり、本当に素晴らしかった。
 楽器の音だけで感銘を受けるというのは初めての体験かも。
 ギターのように華やかな音色ではないのだが、
減衰し消えていく音まで追ってしまいたくなるほど
余韻がある音、とでも言うか。
 鳴った後の沈黙に耳をすましたくなる音と言うか・・・。
 「楽器の女王」という呼び名も納得です。

 心に深く染みるほど繊細で奥行きのあるリュート独奏の後は
 「ボニーボーイ(Bonny boy)」
 「グリーンスリーヴス(Green sleeves)」
 「サリー・ガーデン(Down by the sally garden)」
などの
有名なイギリス古謡4曲。
 「サリー・ガーデン」の過去に受けた言葉と
現在の悲嘆を交互に歌う表情が特に印象に残っています。

 そしてダウランド作品を3曲の後、休憩。

 その次に演奏したものが、この演奏会で最高に印象深く、
かつ素晴らしかった。

 モンテヴェルディ「アリアンナの嘆き(Lamento d'Arianna)」

 Lasciatemi morire, (私を死なせてください)

 悲痛に満ちた声で始まった演奏は、
自分を独り島へ置き去りにしたテゼオへの恨み、
しかし消せない愛情が目まぐるしく移り変わり、
その2つの相反する感情が高まっていく。

 恋慕の情が一瞬にして憎しみへ変化し。
 またその逆へ。

 あるいはロングトーンで感情が
徐々に移り変わっていくような音色の変化。

 リュートは激しい歌を陰で支えるように。
 理性を繋ぎ止める様に。

 ある種の狂気までも表すその歌唱は
10分を超えるこのステージをほんのわずかな時間に感じさせ。
 
 二人の表現者の音楽が
ここまで劇的に世界を表現し尽くしたことに呑まれました。

 最後の音が消えていき、
白熱した緊張感が徐々に薄らぐとともに
私を含め、溜め息とともに
身体を弛緩させる観客の姿が目に残っています。

 ※アリアンナの嘆き:曲解説


 熱唱の後は、またリュート独奏2曲。
 リュートはとても繊細な楽器らしく、
激しいアリアンナの伴奏の後は
チューニングがかなり大変で時間がかかったり、
温度が上がりすぎると音がすぐ狂うらしい。
 16世紀に生まれたカプスベルガーの作品演奏は、
これもまた素晴らしかった。
 演奏終了後は、リュート独奏のCDを購入してしまったほど。

 リュート独奏の後はジローラモ・フレスコバルディの作品2曲。
 続けて「やはり良いなあ…」と思わせる
モンテヴェルディ「甘い苦しみは(Si dolce il tormento)」

 そしてバルバラ・ストロッツィの作品2曲で終演。



 いやさすがに「プロはスゴイ!」と思わせる演奏でした。
 前述のようにCDの印象から実演を聴くまでは、
歌そのものではなく、聴く人の感性に囁きかけ、
その結果世界を膨らますような表現を予想していたのですが。
 
 声楽、という形式に“歌わせられている”のではなく
自分の表現したいものを高度な技術で表現し尽くし、
その表現したいものが形式と完全に一致している。
 裡から出た表現したいものが
過不足無くすべて歌になっている、という印象。

 さらに、表現にあいまいな箇所が一切無い、
存在感のある世界に引き込まれ続けた演奏会でした。
 表現にあいまいな箇所が無い、というのは
その表現ひとつひとつがとても良く考えられているのでしょうね。

 歌とリュート、という傍目には地味な演奏形式が
限りなく色彩豊かな世界を創り出すことに驚いた演奏会でもありました。

 ただ、リズム、演奏者お互いのテンポには
距離的にも近かった
歌とリュートという組み合わせは素晴らしいと思いましたが、
聴く前に望んでいた
リュートの繊細な美しさが、
波多野さんの美しい弱声と響き合うような時間が
もっとあれば個人的には嬉しかったかな、とも。
 あくまで裏方に徹したリュートと
予想よりずっと強く存在感のある波多野さんの歌が
違和感とまでは言わないまでも、
ほんの少し、共演という言葉から外れたような印象がありました。


 それでも、ユーモアを交え、演奏前に
端的に分かりやすく曲解説を行う波多野さんの姿を含め、
親密な、それでいて芸術性の高い演奏会でした。

 そして声楽はもちろん、合唱に関わっている方は
波多野さん・つのださんの演奏会へ向かうことを強くお勧めします。

 それは、いわゆる“声楽”というイメージからの
高い音をこれみよがしに張り上げる、
ヴィブラートをかける、といった
ケレン味ある表現が無い演奏というのもありますが。

 なによりメゾソプラノという落ち着いた、
少し聴いただけでは素直で素朴に感じられる声質で
楽曲の望む世界を表現し尽くす、
いやそれ以上に表現の限界に挑戦、という気概にあふれていること。
 それでいてその表現は実に高度に完成されていること。

 歌、というものへの私の固定概念を
軽々と打ち破る瞬間がいくつもあった演奏でした。

 もし私が合唱の歌手や指揮者だったら
大いに刺激に、そしてヒントになるであろう歌の数々でした。


 突然関係無い話ですが。
 私はトマトと卵の炒め物、という料理が好きでよく作るんですけど。
 いわゆる一流の料理店で
ちゃんとした料理人が作ったトマトと卵の炒め物は。
 ・・・これが同じ料理か?!
 と思うほど違うんですね。

 「高い店は高級な食材を使っているから旨いのは当然」
 などとあまり料理を知らない人は言ったりしますが。

 トマトと卵というありふれた食材で
料理する人が違うとここまで違うんだ、ということ。
 一流の料理人と自分との大きな腕の差。
 自分で作ったものを口にする度思うんです。
 料理という行為の奥深さと凄さを。
 それは音楽でも、同じこと。

 もちろん波多野さんは、私が買うような
その辺のスーパーのトマトと卵などではなく、
とてもとても質の高いトマトと卵であることは言うまでも無いのですが。


 アンコールは「スカボロー・フェア」と團伊玖磨作曲の「花の街」
 この演奏会唯一の日本語の曲だった「花の街」が絶品でした!
 明晰に伝わる、それでいて自然な印象の日本語。

 輪になって 輪になって 春の夕暮れ
 一人さびしく 泣いていたよ


 すみれ色の夕暮れの中に
聴いている自分自身が消えていくような・・・。


 東京を除いた都市で一番多く波多野さん&つのださんを
お呼びしているのが、ここ広島だとか。(過去20回以上?!)

 主催の広島プロムジアアンティカと
コールアルスアンティカに心からの感謝を。
 そして次回演奏を聴く機会があるならば。

 ぜひ日本語の歌を!
 そしてリュート独奏を増やして!

 演奏後に、高揚した、体温が高くなるような気になった演奏会でした。
 次回、広島で聴く機会を本当に楽しみにしています。




 (おわり)




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