演奏会感想の部屋

 


 最終ステージ

 混声・童声合唱とピアノのための「島根のわらべ歌」

 1.甘酒ホイホイ     (手まり歌     松江市)
 2.いっぽかっぽ     (履物かくし歌   飯石郡) 
   こいしくらい      (とんぼとり歌   松江市)
 3.大さむ小さむ     (寒気<自然> 那賀郡)
 4.べんさんやっとん   (鬼きめ歌     大原郡)
 5.なんじゃもんじゃ   (からかい歌   那賀郡)
 6.おじゃみおふた    (お手玉歌     松江市)

 指揮:栗山文昭先生  ピアノ:須永真美さん




この曲は、島根県に伝わるわらべ歌を三善晃氏が新たに
編曲した作品で、2003年1月合唱団「松江」ファイナル
演奏会で4曲(出雲地方のわらべ歌)が初演されました。
今回、新たに2曲(石見地方のわらべ歌)が加わり、
童声と混声(一部女声、男声)、ピアノがさまざまに
組み合わさる、今を生きる新しい「島根のわらべ歌」が
ここに誕生します。          (プログラムより抜粋)



 北は北海道、南は九州から集まったという
公募合唱団「島根のわらべ歌」を歌う会、約160人(!)がステージに並ぶ様は壮観。
 さらに左側には童声として
大社町立大社小学校・斐川町立中部小学校・出雲市立浜山小学校・
ヴォーカルアンサンブルどんぐり(広島)の計60名が加わる。

 その童声は非常に素朴で、いわゆる「少年少女合唱団」の発声ではない。
 本当に近所のコドモが歌っているよう。

 3曲目の「大さむ小さむ」は
童声の聞き慣れた旋律と分厚いハーモニーの醸し出す抒情。
 4曲目の「べんさんやっとん」の男声のリズミカルな楽しさ。
 5曲目「なんじゃもんじゃ」は島根地方の「わらべ歌」という枠を超え
普遍的な魅力が感じられ。
 6曲目の「おじゃみおふた」は壮大な音楽の流れ、そして
童声と、それを優しく包む大人の声が心にしみ入る。

 聴き終わって、参加した北海道の知人に
 「あの童声、イイよね〜! あの声がさぁ・・・」
 「そそそ! ああいう“ガッショウガッショウ”していない声がいいのよ!!」
 …と盛り上がってしまいました。

 「“合唱祭”なのに、“ガッショウ”していない声がイイとはなんぞや?!」
 そんなお叱りを受けるかもしれないけれど。
 個人的な話ですが。札幌の実家の少し離れた所に保育園があって。
 休みの日に2階で昼寝をすると、その保育園から風に乗って
子供たちの歌う声がかすかに聞こえたのを思い出しました。
 眠りに入るか入らないかの時に聞こえる子どもたちの声。
 ・・・あれは最高の昼寝だったなあ・・・。


 注文をひとつ。
 せっかく、「その土地でそのわらべ歌」を演奏するんだから
「手まり歌」や「お手玉歌」などの昔の遊びは、子供達に教えられるはず。
 できればわらべ歌を歌いながら子供達がその遊びをする、
といった演出があれば、よりいっそう感動が深まったろうな、と思います。


 「21世紀になって、昔の良いものをもう一度見直したい」…と
栗山氏は語られ。
 「“おじゃみおふた”などの遊びは、
  もう子供達は知らなくなってしまった…」と。
 (栗山文昭氏はこの地、島根県のご出身)


 この曲は「“島根の”わらべ歌」、しかしこの曲の魅力は
この島根に限らず、全国に通じるものだと私は思います。

 そして響の「木とともに 人とともに」の演奏でも思ったのだけど
童声と混声の合唱、というのは聴いていて素直に気持ちが良い。
 この「島根のわらべ歌」に関わる人たちの願いのように
全国の多くの合唱団で歌われて欲しいものです。良い曲ですよ!





 すべて聴き終わった時は、やや複雑な思いになった。
 「コンクール」と違うイヴェントの意義を求めて「コロ・フェスタ」に来たのだが。
 心に深く残った大部分は、コンクールに出たとしても
全国大会で充分金賞を取れそうな栗友会の団体ばかりだったからだ。

 私が技術的に高い水準の団体に魅かれる傾向があったとしても、
技術水準をあまり問わずに、この「全国から集まる」ということが
どういう意味を持つのか? と少し戸惑ってしまったのも事実。

 ただこうして時間をおいて、プログラムを見返し、
各団の演奏を思い返してみると、また違った感想を持つようになった。


 この島根県・大社、という、決して大都市ではない地。
 仮に、私が育った札幌でこの「コロ・フェスタ」が行われていたら
どういう感想を持ったろう?
 当然、栗友会の団体の演奏に驚嘆し、最後の合同合唱に感動するはずだ。

 そして、もうひとつは。
 札幌で自分が所属している団体と、技術的にはそう変わらない団体でも、
ここまで自分たちの個性を追求し、発表していること。
 そうした団体が全国にあることに対しても驚きを感じるのでは。

 (失礼なのを承知で書くが)
なにも全国大会に出場できるほどの実力を持っていなくても
少人数でグレゴリオ聖歌を喜びを伴って歌うことも出来るし、
楽器との協演を積極的に行ったり、
「ソング」を楽しく歌ったりすることも出来る、ということだ。


 コンクールという行事は、やはり「技術的な側面」を重要視する行事だと思う。
 もちろんその中でも自団の個性を充分に発揮する団は数多く存在するが、
「コンクール」という枠では
その個性をいまひとつ発揮できない合唱団があるのも事実。

 もちろん、個性ある合唱団を集めた、ということもあるはずだが
この「コロ・フェスタ」という行事では、技術力の幅はあれど
聴いていて「つまらない」と思ったことはほとんどなかった。
 どの団にも「これを歌いたい」というものがハッキリしていたと思う。


 自分はちょっと前まで
 「全国大会で銀賞程度を取れる技術が無いと
  その音楽は聴くものに伝わらない」…と思っていた。

 もちろん、その事を完全に否定するつもりは今も無いが。
 しかしコンクールや演奏会で多くの演奏を聴くうちに。

 全国大会で、銀賞、あるいはそれ以上の賞を取っている団体でも
とても少数だが「伝えたい」音楽があまりないような、
なぜその曲を歌っているのかが分からない、
その合唱団の高い技術がどこへ向かっているのか
疑問に思ってしまう団体の存在や。

 反対に、全国大会で銀賞を取るどころか、
支部大会でもどうか、と思われる技術水準の音楽が、
私だけではない、多くの人に「伝わっている」のを目にして。

 ・・・わからなくなってしまった。


 今回の「コロ・フェスタ」では栗友会の団体の演奏が
とても私に「伝わり」、心に深く刻み込まれた。
 それは技術とともに自分たちのやりたい音楽、
「個性」が明確であったからだろう。
 そして他の団体も、それぞれの合唱の魅力を私に伝えてくれた。

 「技術」、そして「個性」。
 どちらも分かちがたいものだ。
 しかし、「技術」がともすれば優先してしまう、
コンクールという行事を見つめ直すためにも。
 そして自分たちの音楽が
どこへ向かっているのかを改めて考えるためにも、
この「コロ・フェスタ」というイヴェントは良い機会にならないだろうか。


 あと、会場は600席だったのに半分ほどしか席が埋まっていなかった…。
 近隣の大学生などの若い合唱人はいったいどうしたんだろう?!

 「晶」や「響」の演奏は、
その団の“地元”でも聴けるか聴けないかの名演だったのに・・・。
 とてもとてももったいない。(入場料1000円なのに!)
 それでも、参加したついで(?)とはいえ
地元の、多くの女子中学生が演奏を聴いていたのが嬉しかった。

 若い時に体験するものは、その人の一生を左右する。
 私が合唱をやり続ける理由の一つは、
まだ10代の時に聴いた、栗友会「コーロ・カロス」の札幌公演のおかげだ。
 あの公演がなかったら、今も合唱を続けていたかどうか。

 聴いていた中学生の何人が、
私の年まで合唱をやり続けるかわからないが、
この「コロ・フェスタ」で種は確実に蒔かれている。
 素晴らしい技術と個性を持つ合唱団の演奏を、
大都市ではない、こうした地方で聴く機会を提供し続ける
栗友会と、それに関わる合唱人のみなさんに感謝したい。


 2004年の「コロ・フェスタ」は新潟。
 2003年よりも、もっと多くの人が参加することを願っています。


 最後に、「コロ・フェスタ」プログラムから
栗山文昭氏の文章を転載します。



 コロ・フェスタ:聞く合唱祭

                           音楽監督  栗山文昭


音楽の神様も集まる、この出雲の国は大社へようこそ。
そして、八雲立つ出雲で、コロ・フェスタのために御尽力下さった、
大社町をはじめ多くの方々にお礼申し上げます。
私は、合唱のイヴェントが大都市中心に行われていることに
懐疑的でした。どうして町や村で行わないのか、効率や集客また、
人が多いというだけの幻の権威だけで大都市で行っているのでは。
ヨーロッパでも世界的な合唱コンクールは2万人規模の町が町を
あげて行っています。アメリカ・オレゴン州ユージンという大学町では、
一ヶ月に渡ってオレゴン・バッハ・フェスティバルが、それこそ
町の全ての人によって行われています。参加者を運んでくれる
老夫婦のマイカーに感動した記憶が今もあざやかです。日本の
コンクールなどで見られる「日本一の桃太郎」的価値観は早く
見直すべきです。
それぞれの村や町にそれぞれのいいものがある。そこに日本中から
集まる。そしてお互いを認め合う。コロ・フェスタは歌う合唱祭ではなく
聞く合唱祭です。舞台に立つ人間だけでは文化は育たない。聞く人と
一体になることがなにより大切です。合唱団を比較して聞くのではなく、
それぞれのいい所を発見することを楽しんで聞いて下さい。心の
豊かさは、はじめてその時生まれるのです。




                  (『コロ・フェスタ2003 IN 大杜』  おわり)



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