演奏会感想の部屋

 

 
    クール・シェンヌ演奏会感想 その2


  3.バッハの合唱音楽               

  Ich lasse dich nicht,du segnest mich denn  <BWV Anh.159>

  MOTET “Komm,Jesu,Komm”  <BWV229>  (J.S.Bach)

  客演指揮:本山秀毅先生



  おお、待望の本山先生!

  2群の合唱はかなり間をあける配置。

  本山先生の指揮は、思っていたよりも大きく熱いアクション。
 音楽は堅いブロックを積み上げるがごとく、しっかり構築されたものに
 カッキリ、クッキリした表現を乗せていくもの。
  音楽の輪郭がしっかりとなって。おー、まるで別の合唱団だ!!

  そんな本山先生の「表現しようとする音楽」には好感を持ったものの。

  ・・・演奏は。うーむ・・・。

  曲が2ランクぐらい、シェンヌの実力から上のような。
  それは、この人数で2群に分かれる、という部分も多くあるのだが・・・。

  本山先生の音楽が要求するものに、余裕無く、いっぱいいっぱいに。
  2Coroの人たちは楽譜から目を離せない人も多く、
 うーん、練習不足かなあ、と残念に思った。

  せめて2群合唱でなければ・・・。
  各所で前2ステージであった安定感と引き替えの
 「なにか物足りない」気分を解消してくれる表現があったために
 もったいなく思いました。


  第4ステージの前に団員の女性による
 これまでの団の歩み、と各ステージの紹介。
 (個人的には2ステージの前にやった方が良かったかな、という気も。
  演奏が終わった3ステージに言及する部分とか…)

  さて、シェンヌの演奏とは関係ないのだが、ちと苦言を。

  この演奏会、『未就学児童の入場お断り』…では無かったようで
 最初に座った私の席の近くにも3人のオコサマが。
  そして。1ステージが始まってから、しゃべるしゃべるしゃべる。
  保護者らしき人が軽く注意しても、そのおしゃべりを止めない。
  かなり離れた別の保護者の方が外に連れ出すまで、
 そのおしゃべりは止まらなかった。(2曲目の途中まで)

  演奏後の拍手よりも先に、大きく響くシャッター音のカメラとともに
  (堂々とした態度と立派なカメラなので、主催者側が雇ったカメラマン?)
  「こりゃタマラン」と2ステージ目から別の席に移ったけど、
 その近くにもずーっとしゃべりっぱなしのオコサマがいて(涙)。
  やはり2曲目途中で連れ出されるまで、そのおしゃべりは止まらなかった。


  『未就学児童の入場制限』…については学生時代、
 先輩とかなり激しくやり合ったことがあって。

  そりゃ
  「小さい時から音楽に親しむ意志を尊重」
  「子どもを連れてこないと聴けない保護者の気持ち」
  ・・・も理解できるんだけど。

  でも、その方たちを尊重するために、
 その何倍もの人たちが音楽を聴くことを犠牲にしても良いのかなあ?
  と、思うんですよ。

  それとも、オコサマの騒ぎ声などに「まあ、こんなもんだよな〜」と
 流せられない、神経質な私の聴き方に問題があるんでしょうか。


  議論した先輩の
  「文吾、オマエって冷たいヤツだよな。自分さえ良ければよいのか?」
  ・・・との言葉を思い返しながら、悩んでしまいました。

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  この感想を書いてから色々考えたのだけど
  結局は「安易に未就学児童を入れる」ということをしなければ、
  かなりの部分、私は許せると思う。
  すなわち、騒がれた時に出口まで誘導する係員の配置。
  保育士と共に用意された簡易保育のスペース。
  会場内アナウンスでは
  「お子さまをお連れのお客様はできるだけ通路側にお座り下さい」
  等々。

  主催者側がなにも手を打たず、
  「未就学児童」側の権利を主張するのだったら、
  少なくとも私は、もうそういう演奏会へ行く気はしない。
   それは、「未就学児童」側では“ない”私の聴く権利を考えられてない、
  と言うことだから。

   ・・・これも、子どもを持っていない、そして持つ予定もない
  独身者の我が儘なのだろうか?

  (クール・シェンヌの演奏会だけを問題にしているようだが、
   もちろんそんなことはない。
   シェンヌ団員さん側も、他の観客からも出たこの苦言を
   真摯に受け止め、改善していく意志がある、ということを
   掲示板に書き込んでくださった)

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  4.混声合唱のための どちりなきりしたん(千原英喜)

  1.(不干斎ハビアン「妙貞問答」より)
  2.(「南蛮小唄」より) 
  3.(「どちりなきりしたん」より) 
  4.(「こんてむつすむん地」より)
  5.Epilogue:Ave Verum Corpus

  指揮:上西一郎先生



  昨年の7月に福島のF.M.C.混声合唱団で初演された曲。
  会場には作曲者の千原先生と、
 初演時の指揮者:高野洋子先生もいらっしゃったようだ。


  充分に練習を積んだ、完成度の高いステージ!

  個人的には、日本とキリスト教:西洋文明が交差するような
 この楽曲で。
  日本語もラテン語典礼文もヴォカリーゼも、
 すべて等しいものとし、ひとつの流れで滑らかに歌われていく部分に
 もう少し違った作り方もあるのでは…と感じないわけでもなかったが。
 (日本語が特に“日本語”として聞こえず、
  それぞれの単語のニュアンスが届かない印象)

  1曲目のヴォカリーゼの抒情。
  2曲目の柔らかな曲のはじまりと、ソプラノの表現。バスの深さ。
  3曲目の細い穴を通すような、本当に集中度の高い女声のうた。
  4曲目のグレゴリア聖歌の男声の流麗さ。
  最後の盛り上げに至る感動的な熱演。
  5曲目の、ラテン語だけの楽曲は“1つの流れ”の長所が際立ち、
  「さすが!」…という演奏だった。

  アンコール2曲目(曲名不明)も、やはり柔らかい響きにあふれ、
 あたたかい雰囲気が満ちる、シェンヌにふさわしい曲。
 (シェンヌの演奏会に限ったことではないが。
  アンコール曲をアナウンスしないのは、演奏の流れとして
  理解できるけど。
   ・・・でも終演後、ロビーに曲名を記したものを
  掲示することは出来ると思うのだが、なぜしないのだろう?
  著作権料を払いたくないから??)

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  註:感想を掲示板に書いた後、
 シェンヌ団長:poohやんさん(あいさつをされた女性)から
 書き込みがあり、アンコールの曲名は

  1曲目はGerald Finziの「My Spirit Sang All Day」
  2曲目はImant Raminshが編曲したラトビア民謡の「Put,vejini」

  ・・・だったそうです。
  紹介するのを忘れていた、ということで
  「決して著作権料を払いたくないわけじゃあないですよ!」
  とのこと。スイマセン(笑)。

  お詫びついで、というわけでもないのですが。
  リンクしている「混声合唱団クール・シェンヌ」HP。
  コンテンツの「指揮者」から指揮者のエッセイ:「指揮者のためいき」は
  とてもとても良い内容です。
  歌う仲間を愛し、ためらい迷いながらも未来を見つめ、
  前に進んでいく上西先生の姿勢に大変共感しました。ぜひ読みましょう!

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  全体を通して考えると。
  素早く、瞬発力をもって表現をぽーん、と変えていく部分。
  そして自分たちの表現の枠というものを
 (破綻させず)越えていこう、という意志が若干弱いかも、
 という気がする。

  現在の状態では、しっかりとした論理の上に、
 そんな部分を変える表現を創っていく本山先生の音楽は
 シェンヌのこれからを考えるに、とてもふさわしい気がした。
  演奏自体は今ひとつ、の部分があったとしても。

  ただ、第4ステージのように「楽曲をひとつの流れ」とし、
 細かい表現の動きを切り捨て、
 それゆえに安定感、説得力を持たせる上西先生の美意識が、
 これからどう本山先生の「変化」を取り入れていくのか。
  その行く先が大変興味深い。


  最初に書いたように創立20周年でも、さらに大きくなろうとし、
 こういった客演指揮者招聘や、現代邦人作品に取り組む姿勢は、
 とても好ましく思う。
  ますます『クール・シェンヌ』は魅力を増していくことだろう。

  貴重な、その変化の過程に立ち会えた幸運に、
 本当に倉敷から行って良かった!…と思った演奏会でした。


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  帰りには雨も上がり、ヒトシゴト終えた気分になった。
  ・・・いや、自分はナニもしてないんだけど。

  (…しかし、シェンヌの“響き”。なぁんか懐かしい気が
   するんだよなあ。音楽以外で…なんだったかなあ・・・)

  そんなことを考えつつ、天王寺へ向かう。
  この「大阪ツアー」でのもうひとつの目的、
 天王寺・阿倍野筋の居酒屋で酒を飲む、というもの。
  …オレも好きだね・・・。

  陽が沈む前の夕暮れの一時。
  いちばん春らしいと思える時間に店へたどり着く。

  創業60年。古びたカウンター席に座り、
 満員の店内に立ち上る関西弁に包まれながら
 あつあつのだし巻き卵、きずし、どて焼きなど
 関西特有の“あて”を楽しんでいたら
 たちまちビールが1本空いてしまった。

  燗酒ください、と頼んだら
 ガラス製の徳利とお猪口がすぐ前に置かれる。
  やや甘口、ぬる燗の“松竹海老”を口に含むと。

  のどを滑り、流れ、体の中心に届いたその液体は
 “じんわり”…とからだの隅々までひろがっていき。

  やわらかであたたかな空気が、からだをすっぽりと、ここちよく包む。


  (・・・こ、これだ・・・!)

  ほっ、と息をついて、目の前のガラス徳利を見つめる。

  (懐かしい気がした、と思っていたけど
    マサカぬる燗の日本酒とは思っていなかったよ・・・)


  お酒を飲まない、飲めない人ゴメンナサイ。
  口に燗酒を含む度
 柔らかく、温かなシェンヌの響きを思い返し、
 バードやタリスの幻を聴くような。

  そんな幸せな大阪、春の宵のお話し、でした!

 



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