演奏会感想の部屋

 

 
    リガ室内合唱団「アヴェ・ソル」 2



   暗闇の中にちいさな灯りが動く。
 ホール客席の壁際、ステージの奥に等間隔で並び、そして止まった灯り。
 やがて闇が深くなる。その漆黒な闇の奥から女性のかすかな歌声が。
  Alleluja… Alleluja… Alleluja・・・ “Alleluja”

 音が重なり声と声が、響きと響きが擦り合い共鳴していく。
 男性の歌声も加わり、ホール全体を巻き込む音響となり
大きく空間を満たしていく。

 この曲はウィリアム・オルブライト作曲の「アレルヤ」。
 リガ室内合唱団アヴェ・ソル、演奏会はじまりの曲だ。

 2004 10・13 19:00〜  岡山シンフォニーホール
 ラトヴィアから来日したこの合唱団は26名。
 曲目を紹介すると
 <第1部>
 ウィリアム・オルブライト:アレルヤ
 ヤン・カンパヌス・ヴォトナンスキー:ロランド・チェリー
 セルゲイ・ラフマニノフ:我が魂よ、主を崇め
 ヴァレリィ・ガブリリン:ペレズヴォニ
 ペーテリス・プラキディス:墓碑銘
 アードルフス・スクルテ:ソナタ
 武満徹編曲:さくら(日本古謡)
 ヤーニス・ルーセンス:旗の歌

 休憩後はラトヴィアの民族衣装に身を包んだ民謡を題材としたステージ。
 <第2部>
 パウルス・ダンビス:婚礼のダンス
 パウルス・ダンビス:牧童の呼び声
 イロナ・ルパイネ編曲:雨をのがれて
 イロナ・ルパイネ編曲:ドゥイド
 ユリス・ヴォイボス編曲:母のいたわり
 セルガ・メンツェ:いずかたより
 セルガ・メンツェ:労苦なしでは
 ヤーニス・カルニンシュ編曲:二人の従者が乗っている
 イエカブス・グラウビンシュ編曲:兄弟よ、ビールを
 パウルス・ダンビス:冬のあそび

 指揮は第1部の最後2曲はイマンツ・コカーシュ氏。
 それ以外は息子のウルディス・コカーシュ氏。

 この合唱団の優れた点は多々あるが、
私がまず一番に感じたのは「バランスの良さ」。
 それは音量だけの問題ではなく、声質、感情の量、と
いったものまで含まれる気がする。
 目指す音楽表現が確かに存在し、
刻々と移り変わる音楽へ細やかに目と耳を配りながら、
その音楽の要素である自身の表現を変えていく。
 最右翼にいるバスの男性は左端のソプラノが常に視界にいる。
 左端のソプラノの女性は遠く右端のバスに耳をすましている。
 歌い手、各自それぞれが、音楽の全体像と個々人を把握する
“統べる眼”を持っている印象。
 それゆえ、個人、各パートは繊細でやや奥ゆかしいながらも、
合唱団としてのまとまりは、
精巧にカットされたそれぞれの輝きが集合し、
ひとつの光として確固たる存在を主張する大きな宝石のようである。

 そして「音楽への没入」。
 今回の演奏曲はそれほど難易度が高い曲はなかったが
 (武満徹編曲の「さくら」が一番難しかったかもしれない)
それでもやや難しい部分にその困難さを主張することはない。
 難しさを超えられる能力の高さを誇ることもない。

 音楽はそれぞれの魂の叫びでもあるべきだが、
行き過ぎるとそれは自意識が先に行ってしまい、
自身を叫ぶための単なる手段、音楽自体を貶めることにも繋がる。
 アヴェ・ソルは自意識よりも先に、
表現しようとするもの、いや音楽そのものへ
自らの存在全てを注入し、大きく傾ける。
 自分自身よりもなによりも先に、まず音楽への敬意がある。

 それに関連してその音楽も行き過ぎることはない。
 たとえば誰にも手が届かない遙かな高みを。
 まぶしくて目も開けられないほどの光を。
 音楽性、技術が高い演奏家はそのような次元を目指すものだが、違う。
 アヴェ・ソルは
 …咲き誇る盛りの花の美しさよりも
 「少し萎れ首を傾けた、花の陰」
 爽快に身体を吹き抜けていく風よりも
 「遠くの路や壁をすり抜け、頬だけに感じた一筋の風」
 燦々と照らす太陽の光よりも
 「無明の底、遠い山の縁へわずかに視る光」
 そんなところに、この合唱団の求める美は、うたは存在している気がする。


 第2部では鳴り物を使い、動きを取り入れながらも
演出ステージ特有のあざとさを感じさせず、
実に自然な感じで愛らしく、爽やかに歌でラトヴィアの世界を描いてみせ。

 「牧童の呼び声」でソプラノの一人が客席に降り、
遠くへ声を上げる・・・1階席の観客がその声の向かう方向、
3階にいる私の方へ一斉に顔を向ける。
 ・・・しかしその声は私の場所などよりも
もっと遠くへ向かっているのだ。その場所も、時間も。

 遠く離れた距離、時間。そして人と人との心の隔たり。
 その間を埋めようとする、近づこうとする心情に音楽があるとするならば、
この合唱団の音楽にはその距離を時間を心を近づけ、
一瞬で重ねてしまう強い力がある。

 「母のいたわり」ではざわめきのような合唱を背景に
控えめで、純粋なソプラノ・ソロが届く。
 皆が足早に通り過ぎる夕暮れの街中でひとり立ち止まり、
私だけへまっすぐ目を向けるように。・・・この曲で堪えきれず、涙が出てしまった。

 おそらく私たちは自分が現在憶えていることよりも、
ずっと多くのものを見聞きし、そして感じているはずなのだ。
 しかしそのほとんどは時の流れとともに零れ落ちていく。
 零れ落ちたものたち。
 忘れてしまった、忘れなければならなかったものたち。
 それらの残滓を拾い集め、改めて私たちに音楽の姿として見せてくれる。
 「あなたが忘れかけていたものはこんなに素晴らしい」と。


 私の感想は個人の思いが走りすぎているだけかもしれない。
 しかし、「上手かった」という感想よりも「…好きだ」という一言。
 「待ち望んでいた」「琴線に触れた」という一言が聴いた後に出てきた人。
 そして私のように涙が流れた人。

 いつか、お会いすることがあったら音楽の素晴らしさを、
そしてこの世に満ちる好きなものらを、
萎れかけた花やかすかな風や曇天の中に輝く青空の一角を。
 …微笑みでもって語り合いましょう。


 見過ごされ、すぐ忘れてしまうようなものにも、
いやそういうものにこそ美は、大切なものは存在している。
 そんなことを演奏を聴き終わった後もずっと、今も感じさせてくれる
リガ室内合唱団「アヴェ・ソル」。


 この合唱団を世界で一番「上手い」でも「優れている」でもなく
「世界で一番好きな合唱団」、と言った人の気持ちがわかった気がします。
 本当に好きなものは、優れていることだけが理由では無いように。
 




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