演奏会感想の部屋

 

 

 休憩のあと、ドライアイスのスモークが広がるステージ。
 黒装束に着替えた団員たちが入場し、
暗闇の中、指揮者の大谷研二先生の下だけに
一条の光が射す。

 混声合唱とピアノのための
 「魂の舟」 〜葬送の音楽〜

 ピアノは山部陽子先生。
 「魂の舟」とは、インドネシアの土俗宗教において、
祈祷者をあの世へ運ぶ船ということ。

 テキストは宮沢賢治の「疾中」より
 「眼にて云ふ」の一部、
 「そのうす青き玻璃の器に」
 「無声慟哭」から一部が取られ。

 さらに「白いうた 青いうた」の共作者:谷川雁氏の
 (谷川氏の死去のため、「白いうた 青いうた」は
  志半ばに53曲で中止された)
 「中世風」から取られている。

 「をとこ・をんな」に通じる、
「音やリズムのまとわりつき」の作曲技法が随所に。
 挿入される宮沢賢治のテキストも断片で
分かりやすい旋律ではない。
 過去に聴いた事がある新実作品では
 「南の島(パイヌスマ)」を思わせる
壮大なポルタメント、グリッサンド。

 正直に言うとこの大作、
途中まではあまりの“現代音楽”ぶりに
ついていけないものを感じていた、が、
 「4.悼歌 −『中世風』より」
哀切なピアノ前奏から、
「白いうた 青いうた」のような旋律で谷川氏の詩が歌われると
私の、会場の集中度が上がってきた。
 (新実徳英先生ご自身もリハーサルで
  この箇所を聴き落涙されたそうだ)

 「白いうた 青いうた」のような分かりやすい旋律が、
現代音楽的な技法で変容していくその衝撃。

 そして照明の効果。
 上からのライト、
ステージにも設置されたムービング・ライトが
曲ごとに、そして曲中に様々な形で
細やかに鮮やかに演奏を彩っていく。
 ここまでの水準の照明は
合唱の演奏会ではかつて経験したことが無いほど。

 「哀悼」だけではなく、
「魂を送る」ための強い力に満ちた音楽。
 最終曲では宮沢賢治の「無声慟哭」から引かれ

 
 こんなにみんなにみまもられながら
 おまへはまだここでくるしまなければならないか



 ピアノ、そして声が強くなっていく。


 おまへはひとり どこへ行かうとするのだ


 強く、強く、声が音がうねり広がり、高みへ昇ろうとしていく。
 そして最後のフレーズ。



  どうかきれいな頬をして
 あたらしく
 天にうまれてくれ




 一瞬だけWIND CHIMEが鳴らされ
声と、ピアノの残響が
退色したような白いステージに漂ったとき、
“何か”が、送られたような、強い実感があった。
 
 呑まれたような沈黙の後、
客席から強く、長い拍手が続いた。





 アンコールは新実徳英先生ご自身の指揮で
「鳥が」
 最初のフレーズから、じん、と来る。

 続いて岩本先生の指揮で「火の山の子守歌」
 しっとりとした叙情に眼をつむってしまう。

 締めは、「どうしてもこの曲をやりたい!」とダダをこねた結果、という
大谷先生の「聞こえる」
 もう声ヤバイんじゃないか、とも思いつつ、
そのスピード感、場面転換、盛り上がりに心が震える。


 正直に短所を書くと、
私と同世代か、少し年齢が上の方が多いMIWOという合唱団。
 例えばテノールは音の出が遅れたり、
ソプラノは高音域に不安を感じたり、
難しい和音は最初は成立していても持続が難しかったり、
ベースは人数が少ないためもあろうが喉で鳴らす音があって、
他パートと調和しないような印象があった。 
 あの重厚長大なプログラムを歌い切って、
年齢のためだけ、とするのは酷かもしれないが。

 しかしそんな短所を越え、
演奏後に知人と話した時

 「…自分が、歌い続けてきて良かった!
  という演奏会だったよ」

 という言葉を聞いた。全く同感だ。
 ただ、私は歌い続けていないので

 「合唱を聴き続けてきて、良かった!」…になるのだが。


 過去に何度も歌った、何度も聴いた新実作品が、
いまこうして、この場で、新たな感性で甦り、
新しく生まれ変わる。
 
 「いま」MIWOがこの作品を歌っている、と強く自分が感じるのは。
 それはきっと歌い続けた唇が、聴き続けたこの耳が、
過去から現在に繋がる感動をたくわえているからこそだと思う。


 7年前、名古屋の暑い夏に「北極星の子守歌」を歌った。
 15年前、学生時代、夏の演奏旅行で「さる」を歌い、
地元の小学生を笑わせた。
 20年前札幌、冬の通学バスの暗く寒い車内で、
先輩から借りた「吉原幸子詩集」を開き
行間から「幼年連祷」の音が立ち昇ることに驚いた・・・。


 ノスタルジーではなく、“いま”、
目の前にある新実作品を演奏し切ったMIWOの演奏。
 だからこそ、演奏を聴く私たちは
その良さを、感動を、過去と繋げて、より味わうことが出来る。
 

 過去は、私たちが思うほど、現在と断ち切られていないのだ。
 いまを歩む私たちの横を並び、歩くように。
 それは未来と同じように。


 歌い続け、聴き続け、
唇に、耳に、歌をたくわえ、私は待っている。

 未来の「いま」のMIWOの歌を待っている。






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