合唱団訪問記

第30話

 

松下耕先生の指揮


「合唱団訪問記」

 『Brilliant Harmony訪問記』

その3



 <20:35>から、ようやくの休憩。
 (ホントは休み無しで練習する勢いだったのだけど・・・)


 <20:42>練習再開。

 Delibes.L
 「Les nymphes des bois(森の妖精)」

 松下先生「これはハッキリ言って良い曲です!
        松下耕イチオシ!!

 ほ〜、確かに美しい、夢見るような旋律が流れ出す。
 聴いて私もすぐ気に入ってしまった!

 「まだちょっと歌が固いんだよな〜」と言い、
メロディーを口ずさみながら踊る松下先生!

 「バレエ音楽のイメージなんだよ!」…と
会場を歌いながら踊り回る姿に団員さんから笑いが(笑)。

 そして、「ここは群舞!」と次々と曲の背景を
 松下先生は歌い、踊りながらイメージさせる。

 「ここで女の子がひとりで出るでしょ!

  タリラリ〜ラ♪ そこで主人公が」

  …っ!と、見えない女の子を持ち上げる先生の
見事な決めポーズに団員さん拍手喝采!!

 「この雰囲気をお客さんにイメージさせないとダメだよ!(笑)」

 そして、2、3の注意を与えて、また歌わせると。

 ・・・これが、見事に歌が変わるんですねえ。


 <21:03>
 Debussy.C
 「Noel des enfants qui n'ont plus de maisons」
 (もう家のない子供たちのクリスマス)


 演奏の前に先生、「戦争の話だからね!」と。

 1曲を通し。

 「『フランスの子供たちを勝利に導いてください』
  ・・・という歌詞なんだけど、
  ドビュッシーの思いは
  『戦争が早く終わって欲しい』、というものね」

 部分を練習し。

 「“音のイメージ”を掴み切れてない。
  ただ音量が『小さくなる』、ということよりも
  もっと内向的になるとか、もっと解放的になるとか。

  …そういう立体的な音の感覚を持って歌わないと」

 

 <21:15>

 だんだん終了時間が迫ってくる!


 松下先生「さて、次は・・・。

        『曙』? あ、け、ぼ、のっ?!

        曙 ・ ・ ・ 武蔵丸、と来て(笑)」

 この曲はもうひとりの指揮者、森永淳一先生(お若い!)の演奏曲。
 鈴木輝昭作曲『曙』(「宇宙の果物」、より)

 松下先生「『曙』の次は・・・。
        『花』、か〜。

        ・  ・  ・  ・  。

        (練習の残り時間を計算する松下先生)

        じゃ悪いけど 『曙』 1分半で練習終わらせて!


 ・・・ムチャです、先生・・・。

 森永先生が指揮をする横で
椅子に座りじっ、と森永先生と団員さんを観る松下先生。

 1曲を通し。

 さすがに団員さんも声に疲れが出てきたようだ。
 森永先生の“響き”に関する的確な指示の後、松下先生が

 「あのね、みんなの声が拡散してるんだよね。
  お前さん(森永先生)の後ろの一点に集中させるようにしないと」

 ふたたび指揮をする森永先生。

 松下先生の指揮ぶりに比べると、打点と図形をしっかり振る
非常にオーソドックスな指揮ぶりだ。

 松下先生に後で尋ねると。
 「指揮はしっかり基本をやってもらいます。
  基本をやって、その上で抜け出るものが
  “個性”だと思っているから」


 そのような話が心に残っています。

 演奏中、森永先生が振っている後ろに指を立て
 「ここ!」と響きを集めるポイントを示す松下先生。

 練習の終わりを告げた森永先生の後に。

 「すべての生物が、なぜ生きているか。
  ただ“羽があるから飛ぶ”
  “鱗があるから泳ぐ”…んじゃなくって、
  生物はみな必死になって生きている。

  それに対し人間だけは知恵で世界を造ってきた。
  ・・・他の生物とは違い、愚行を繰り返してきて。

  『ごらん』と言う時、ただ『見ろ!』という意味ではなく、
  この世界、全てのものに我々人間も生かされている、
  そういう気持ちを『ごらん』に込めて、
  この世界を愛でよう、感謝しよう、という心が入るといいな。

  それを一人一人が咀嚼して声に出していかないと、
  どんなに音がきれいでも、最後に“しらっ”…としたものが残るね。

  先ほどの“声を集める”にしても、声楽的な意味合いだけではなく、
  そういう詩の内容を理解して、声を集中させることができるように」


 <21:30>

 嘉納昌吉作曲 
 『花』


 もう既に有名な沖縄発ポップスの合唱編曲。

 ふたたび松下先生の指揮になり、ソリストの歌唱の後、
合唱のメロディ。

 各部分を練習して。

 「今日の朝、テレビでね。
  『島唄』が世界中で歌われているという話。
  アルゼンチンでも流行っていて。

  ・・・アルゼンチン人の歌手も日本語で歌ってるんだよ!

  その歌手が言うにはね。
  『この日本の曲の気持ちを伝えるためには
   日本語でしか伝わらない、と思った』

  …って言うんだよ。
  アルゼンチンでは日系人が多い、ってこともあるけど、
  ボクは感動したね。

  日本語で歌うことによって、
  意味が分からなくても、世界中の人が感動してくれる。

  だからボクの『よしなしうた』も、イタリアのコンクールで
  (国立音大)アンジェリカが演奏する時。
  『この曲のシニカルさがどこまで伝わるか』…と思っていたら。
  審査員は満点を付けてくれたんだよね。

  だから、日本語を母国語としている自分たちは、
  日本語をもっと大切に歌わなければいけない。

  “伝わる”…んだよ!
  違う言語でもね。

  この『花』も日本語、だからもっと言葉を大切に歌いましょう!」


 <21:40>

 さだまさし作曲・松下耕編曲『北の国から』


 松下先生「えーと次は『北の国から』・・・。

        ♪あなた、かわりは、ナイデスカ〜♪

        (・・・団員さん無反応)

        ちょっと! 突っ込んでちょうだいッ!!

 …ええ先生、それは北は北でも『き・た・の・や・ど』です(笑)。

 
 この曲はさわりだけで終了。

 しかし森永先生のオーソドックスな指揮を見た後からか、
松下先生の指揮の独自性がより際立つ、というか。

 一見すると『太極拳』?!のようなゆるやかな動きの中に
発声に関する声の方向や支え、
フレーズの抑揚やリズム、必要な情報が全て注ぎ込まれている。

 特に、拍節感、予備は体全体のバネ(膝・腰)を使い、
“歌うこと”に必要なエネルギーが満ちている印象。



 「指揮も “身体的芸術”…なんだよなぁ」と
改めて思った次第。





 (その4へつづく)



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  文吾